【味の話】 年越し蕎麦

【大紀元日本12月28日】年越し蕎麦(としこしそば)とは、大晦日(12月31日)に縁起を担いで食べられる蕎麦で、歳末の日本の風物詩です。地域によって呼び方も様々で、三十日蕎麦、大年蕎麦、つごもり蕎麦、また、大晦日蕎麦、年取り蕎麦、年切り蕎麦、縁切り蕎麦、寿命蕎麦、運蕎麦、福蕎麦、思案蕎麦などがあります。

年越し蕎麦の由来は「細く長く達者に暮らせることを願う」という説がもっとも一般的ですが、他に「蕎麦が切れやすいことから、一年間の苦労を切り捨てて翌年に持ち越さないよう願う」という説や、年末に家族そろって食べることが多いことから、「末長く、そばにいたいから」という説もあります。

この他にも、金箔を使う細工師が、飛び散った金粉を集める時に練ったそば粉を使っていたことから、そばは金を集めるという縁起で食ベるようになったとするものや、風雨に叩かれてもその後の晴天で日光を浴びると元気になるという蕎麦の性質から縁起を担ぐ意味で食べるようになったという由来も見受けられます。

「運蕎麦」(運気蕎麦)、「副蕎麦」は、鎌倉時代に遡ります。博多の承天寺で年の瀬を越せない町人に「世直しそば」と言って、そば餅を振る舞ったところ、次の年から皆運が向いてきたため、大晦日に「運そば」を食べる習慣が生じたとされています。

室町時代では関東三長者の一人、増渕民部が、大晦日に1年間の無事息災を祝い「世の中にめでたいものは蕎麦の種、花咲き実り、みかどおさまる」と歌い、家人ともどもそばがきを食べたことを起こりとする三角(みかど)縁起説。そばの実が三角形をしていることと帝(みかど)をかけています。

一年中の借金を打ち切る意味で「借銭切り」「勘定そば」といい、必ず残さずに食べなければいけないとするものもあります。縁起をかつぐ地方では太く長かれと「運どん(うどん)」を食べるようです。

『本朝食鑑』に、「蕎麦は気を降ろし腸を寛し、能く腸胃の滓穢積滞を練る」とあるため、新陳代謝により体内を清浄にして新年を迎えようと、蕎麦の効能を尊んで食べる方もいるようです。ネギを添えるのも、清め祓う(はらう)神官の禰宜(ねぎ)に通じるからといいます。また、旧年を回顧し反省するため、「思案蕎麦」と呼ばれることもあります。

元々、江戸時代中期には月の末日に蕎麦を食べる「三十日蕎麦(みそかそば)」という習慣があり、大晦日のみにその習慣が残ったものと考えられています。

明治時代・大正時代の大阪うどんの老舗では、商家でも「年越し蕎麦は注文が殺到した」と記述されています。1812年(文化9年)の旅行記によると、東北や甲信越では正月に祝い蕎麦を打つところもあったそうです。

蕎麦に含まれる代表的な栄養素に「ルチン」が挙げられます。ルチンは、毛細血管の壁を強化し、高血圧を予防すると言われています。水溶性なので、蕎麦を食べる時にはルチンが溶け出しているそば湯を飲んだ方が良いとされてきましたが、現在では、蕎麦のルチンはほとんど溶出しないことが分かったそうです。

日本における年越し蕎麦関連の各種調査では、「大晦日に年越し蕎麦を食べる」と回答をしている人が多数を占めており、夕食あるいは深夜の夜食として食べる人が多く、そば屋では持ち帰り用を販売するようになってきています。

除夜の鐘をききながら家族の健康を願って年越しそばを頂く家庭が多いようです。年を越す前に食べきらなければならず、蕎麦を残すと翌年金運に恵まれないなどとも言われています。

(文・大鬼)