毎日仏像を拝み、肉食もせず、殺生もしない「お寺猫」

韓国には特別ながいるらしい。白地で黄色い柄を帯び、一見ぼっちゃりしているこの猫は、どうやら肉食をせずに殺生もしないそうだ。さらに不思議なのは、春夏秋冬、毎日仏像の前に座り込み、まるで人間のように敬虔(けいけん)に仏像を拝んでいるという。

韓国慶尚北道尚州市にある龍興寺に、その敬虔な猫がいる。お寺の住職と同じく肉食もせず、殺生もせず、毎日何時間もじっと仏像を拝み、御飯の時間になって始めてその場を離れるという。

住職の話によると、数年前にひどいやけどをおったこの子猫を発見し、すぐに保護し、「解脱」と名付けたそうだが、「解脱」もまた住職とのご縁が特別に深く、住職にしか懐かないそうだ。

感謝の気持ちで戒律を守り続け

お寺に住み着いた日に住職と「解脱」には三つの約束があったという。それは、仏堂では泣き声を出さないこと、肉食をしないこと、殺生をしないことだったそうだ。

「解脱」はまるで理解できたかのように、住職からの三つの戒律を忠実に守り続けてきた。肉食せず殺生もせず、捕まえたネズミを殺さずに住職の措置を待っていたり、そして泣き方をすっかり忘れたかのように、泣き声ひとつあげた事がないのだとか。

戯れる世間の猫とは一風変わり、「解脱」は朝晩長い時間、両足を前にそろえて一心不乱に仏像を拝むことが日課となり、たとえ遊びに連れ出そうとしても、自ら戻ってしまうのだそうだ。

そればかりか、御飯の時間になると、住職の隣で静かに待ち、住職が食べ残しを手に乗せて与えると、涙ぐんだり、そして時には涙を流して感激するという。

そんな「解脱」はいつしか話題となり、ひと目見ようと多くの人々が集まって来るようになった。彼らは出来たての香ばしい焼き魚や鶏肉を差し出して試そうとするが、「解脱」は振り向かず、頑(かたく)なに逃げてしまう。その代わり、お庭に生えている草を食べたりで、腹ごしらえをしているという。

ネットユーザー:万物に仏性あり

猫歴30年のあるネットユーザーは、「自分は信仰者ではないが、このような事は偶然で成せるものではないのは言わずとも分かる。深く根づいた仏性から自然と生じる行動に違いない。猫の形は外見に過ぎないのだ」

さらに、あるネットユーザーはこう語った。「善根、福徳、因縁関係の違いがあっても、万物には仏性がある」

人間はご縁が訪れる時に始めて仏様のお教えに気がつく。ならば、「縁」とは何物なのか。重病を患ったり、突き破れない壁に遭遇したタイミングで察することができるだろう。それは肉眼で見えなくても、細菌や金星、土星、火星の存在は紛れもない事実なのと同じと言える。録画された怪奇現象なども、とても現代科学で解明できるものではない。目に見えないものの存在を否定するのは、われわれの心持ちに清さが足りず、映らないだけである。

輪廻転生因果応報とは、決して戯言ではない。

(編集・文亮)