温故知新

推敲(すいこう)から学ぶ 一文字も大切にする精神

「おす」「たたく」 この二つの文字の組み合わせにより「推敲(すいこう)」という言葉が生まれました。
文章を書かれる方は日ごろよく耳にする言葉ではないでしょうか。その由来はの時代にさかのぼります。今回はあらためてこの言葉の意味を考えてみたいと思います。

里山に住む李凝(リー・ニン)の家を訪ねた詩人・賈島(ジャ ダオ、779~843年)は、一つの詩を吟じました。

閒居少鄰並,草徑入荒園。
鳥宿池邊樹,僧推下門。 
過橋分野色,移石動雲根。
暫去還來此,幽期不負言。

詠んでみると、月夜の晩に門を推すよりも、敲くがふさわしいのではないかと、思案しはじめました。道すがら「推す」か「敲く」か、ということに没頭していました。

前方から、長安の都知事・韓愈(ハン・ユ、768~824年)の行列が向かって来るのにも気が付かず、その中に踏み込んでしまいました。

韓愈:貴殿はなぜ我が行列に突っ込んできたのか。
賈島:実は、推すか敲くかで思い悩んでおりました。

漢詩の大家でもあった韓愈は賈島の才能を見抜きました。

「人里離れた静寂な地であろうがゆえに『敲く』がよろしかろう。いきなり『推す』では礼を失することになり、その場の雰囲気にもそぐわなかろう」と、助言しました。

納得した賈島は韓愈のことを「一字師」と称し敬い、その後意気投合した二人は詩についての話に花を咲かせたそうです。

詩(文章)の一文字を決めるにしても、我を忘れるほどに考えを重ねる、一文字も大切にする、このような精神こそが「推敲」の真髄ともいえるのではないでしょうか。

(文・田 秀久)※看中国から転載