東京の桜が咲いた。3月14日の開花は観測史上もっとも早いという。
▼今年は例年のような宴会は控えて、心静かに花を愛でよう。都会の公園にも自然はある。時として慌てがちな私たちの日常に静寂を取り戻すには、ほころぶ花を喜び、鳥の声に耳を澄ませてみるに限る。
▼中国では、と書かねばならないのが、今は傷に塩がしみるように辛い。読者諸氏には申すまでもないが、中国では今、この世の地獄が現出している。「疫病との戦いに勝利した」「事態は収束に向かっている」などという中国当局の発表は、北朝鮮のテレビと同等のレベル、すなわち虚偽を超えた狂気に等しいレベルで、セメント化しているのだ。
▼今なにげなく「セメント化」と書いた。身動きできぬほど硬化した、という意味で使ったのだが、はて、どこで見た言葉かなと、自身の記憶をたどるのに多少の時間を要した。丸山真男『「である」ことと「する」こと』(岩波新書「日本の思想」)にあった。
▼その名著の内容を要約する紙幅は、小欄にはない。ただ言えることは、日本の戦後民主主義の時代であったから、私たちの先達はそうした思考の自由さをもつことができたが、もしも自国が共産主義スターリニズムマオイズムの国であったなら、つまり、人工的な「である」が巨岩の重さで民衆をつぶす国であったなら、人は狂わねば生きられないのである。
▼心の片隅では、日本で良かったと思う。しかし日本人は、それで止まっていてはいけない。中国に近いという地理的条件からしても、台湾とともに、避けられない使命が日本にはあるからだ。