大紀元時報

【紀元曙光】2020年4月13日

2020年04月13日 05時41分

東京は、その近代以降の歴史において、完全焼失といってもよい大規模火災を2度経験している。
▼2度目のほうを先に言うと、昭和20年3月10日未明の米軍空襲によるもので、東京の下町一帯を焼き尽くした。第二次大戦中に東京区部が受けた空襲は60回を超えるが、その中の最大規模である。日本の戦意を一気にくじくため、民衆の居住地へ大量の焼夷弾を撒く焦土作戦であった。
▼書きたくなったので記すが、その指揮をとったカーチス・ルメイ少将(最終階級は大将)は、後日の、日本への原爆投下部隊の指揮官でもある。ルメイは前年の12月18日、日本での焦土作戦を想定して、まだ日本軍の統治下にあった中国武漢(漢口)へ大規模空襲を行っている。武漢は、市街地の半分を焼失した。
▼話を戻す。1度目の東京の災禍は、大正12年9月1日に起きた関東大震災による火災であった。江戸期以来、木材と紙の家屋である東京は実によく燃えた。隅田川にかけられた木橋も焼け落ちて、避難民の退路を絶った。190万人が被災。火災で約10万人が死んだ。
▼帝都復興を計画立案し陣頭指揮をとったのが東京市第7代知事、後藤新平である。台湾総督府民生長官として台湾の近代化を推進。思想的には親ソの傾向があったが、現場や現地に誠実に向き合う実務家としては、多くの業績を残した人物といってよい。隅田川の橋が今日の鉄橋になったのも、その一環である。
▼後藤新平が没したのは昭和4年(1929)4月13日。先人の御霊あらば、東京と日本を守るため、現都知事の傍らにて、ご助力を賜りたい。

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