【漢詩の楽しみ】春夜洛城聞笛(春夜、洛城に笛を聞く)

 誰家玉笛暗飛声、散入春風満洛城、此夜曲中聞折柳、何人不起故園情

 誰(た)が家の玉笛(ぎょくてき)か、暗(くらき)に声(せい)を飛ばす。散ずれば、春風に入りて洛城(らくじょう)に満つ。此の夜、曲中(きょくちゅう)折柳(せつりゅう)を聞く。何人(なんぴと)か故園の情を起こさざらん。

 詩に云う。おお、これは誰の家から流れてくる玉笛の音であろう。暗闇のなかを、調べが飛んでくるようではないか。その音色は散じ広がって、春風に乗り洛陽の街いっぱいに満ちているかのようだ。この夜、思いがけずして笛の曲に「折楊柳」の一節を聞いた。これを耳にして、望郷の思いを起こさないものはいないだろう。

李白(701~762)30代半ばの作。詩作に関しては奇想天外、変幻自在、自由奔放な李白であるが、一方で『静夜思』のように実に「きっちり」と作られた詩も多い。この一首なども、まさに完璧に練り上げた構造をもつものと言えるだろう。

 李白という人には、杜甫とはまるで違って、生活苦というものが微塵も感じられない。晩年は相当不遇であったはずだが、その最期は「船の上で、水面に映る月を捉えようとして、水に落ちて死んだ」という伝説をのこしたほど、李白は最後まで李白であった。現実には、詩を介しての友人が多く、彼らが家をもたない李白を各地で遇したのであろう。李白は、その詩の良さは言うまでもないが、人間としても不思議な魅力があり、つきあって楽しい人物であったに違いない。

 表題の詩の頃の李白は、まだ若い。山西の太原に遊び、長安へもどる帰途に、東の都である洛陽に寄って滞在したときの感慨を詠じたものだが、遊ぶにしろ戻るにしろ、李白は公務でそうしているわけではなく、本当の遊子(ゆうし)なのである。フーテンの寅さんでも生業としての売(バイ)をしながら日本各地を回るわけで、李白はその点、人間離れしているとしか言いようがない。やはり詩仙である。

 詩は、申し分ないほどすばらしい。洛陽で過ごした春の夜、ふと耳にしたのは闇に流れ来る笛の調べ。その笛の音が、本当に「洛陽の街いっぱいに満ちている」はずはない。聞いている李白の心中に、それだけ深く響きわたっているのであろう。ましてその曲が「折楊柳」の一節とは心憎い。六朝の昔より、旅立つ人へのはなむけとして、楊柳の枝を折り取り、それを輪にして持たせてやった。旅人の、無事の帰還を祈る風習である。

 李白にも、もちろん望郷の思いはあったはずだ。ただ「頭を挙げて山月を望み、頭を低れて故郷を思う」といったときの李白の故郷はどこを指すのか、今日の私たちには、分かるようでさっぱり分からない。しかし、またこうも思う。この分からなさが李白のたまらない魅力ではないか。一樽の酒があれば、月へも飛んで行ける。李白とその詩は、解釈するものではなく、ただ感じるだけでよい。

(聡)