大紀元時報
周王朝800年の礎

太公望・姜子牙 周文王に軍師として迎えられる

2021年5月20日 18時10分
明代の許仲琳の「封神演義」の挿絵(パブリックドメイン)
明代の許仲琳の「封神演義」の挿絵(パブリックドメイン)

姜子牙はまたの名は呂尚と呼ばれ、一般的に太公望として知られています。殷王朝の末期に生まれ、傑出した才覚と遠大な計略の持ち主だった呂尚は、常に民のことを考え、自分が立てた手柄や功績を自慢することは一度もありませんでした。周国の文王が仁徳の持ち主だと知った姜子牙は渭水(黄河の支流の一つ)の河畔で、釣りをしているふりをして、周国の文王に重用されることを待ち望んでいました。

ある日、文王は狩りに出かける前、占い師から「今回の狩りの収穫は、龍でも豹でも、虎でも熊でもありません。王が大業を成し遂げることを補佐できる人材です」と言われました。この言葉を聞いた文王は夢の中で先人に「聖人が現れるころ、周の時代は繁栄を迎える」と言われたことを思い出し、歓喜の気持ちを抱いたまま狩りに出かけ、渭水の河畔までやってきました。

王族の身なりをした人が歩いてきたのを見た姜子牙は、自ら文王に話かけました。姜子牙の話を聞いた文王は驚愕しました。毎日釣りをしている、このみすぼらしい老人が、天下の形勢や国家を治めることについてこれほど詳しいとは思いもよらず、姜子牙が陰陽や五行の術にも通じ、兵法も得意であるのに気づき、文王は内心で感服しました。

日頃から人材を求めていた文王は非常に喜び、姜子牙を自分の馬車に招待しましたが、姜子牙は自分を背負って城内に連れて行けと言いました。文王は困りました。一国の王が一般の老人を背負うところを民に見られれば、王としての威厳が損なわれます。しかし、背負わなければ、せっかくの人材を逃してしまいます。結局、国や民のことを優先にした文王は姜子牙を背負って、城内に帰りました。

少し歩いた後、疲れた文王は汗びっしょりになりながら、息を荒げました。文王の様子を見た姜子牙は「もう少し歩きなさい」と言いました。しかし、疲れ果てた文王はもうこれ以上歩けず、姜子牙を下ろして、王としてあるべき振る舞いなど忘れ、その場に座り込みました。そんな文王を見た姜子牙は「王は私を背負って全部で800歩歩いた。だから、私も王の周王朝の繁栄を800年約束しよう」と言い、豪快に笑いました。これを聞いた文王はすぐさま立ち上がって引き続き姜子牙を背負おうとしましたが、姜子牙は「私の話を聞いた後に背負おうとしても無駄だ。800年で決まりだ」と笑って断りました。

後に、姜子牙は文王の子の武王を補佐して殷王朝の紂王を滅し、武王もまた、姜子牙を軍師として自らの師として敬いました。姜子牙の言った通り、周王朝は紀元前1046年頃から紀元前256年まで存続し、その期間は約800年でした。

(翻訳 天野 秀)

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