伝説の仙人・張果老の仙薬で人生が劇的に変わった

の時代に趙抱一という少年がいました。少年の先祖は代々農家で、王族や貴族、官吏、お金持ちなどの知合いすらしませんでした。しかし、ある不思議な奇遇により、少年の人生は劇的に変わったのです。

趙抱一が12歳の時、いつも通りに放牧に行きました。途中、ある老人に出会い、「坊や、お腹空いてないかい」と尋ねられました。趙抱一が恥ずかしそうにうなずくと、老人は懐から食べ物を取り出しました。

それはブドウのような形をしていて、非常に美味でした。続いて老人は杖と瓢を少年に渡し、瓢の中にはエンドウ豆のような薬が入っていました。老人が言うには、その薬は様々な病を治すことができ、飲めば、いかなる疾患でもたちまちに治るというのです。趙抱一はブドウのような食べ物を食べ、それ以来、物を食べる必要がなくなりました。

趙抱一が仙人に出会ったことは正史『宋史』にも記録されており、『宋史』によると、ある日、趙抱一は木の杖を持った人を見かけ、その杖の先端からとてもいい香りを出している煙が生じていました。その後をついて行ったところ、趙抱一は崖の上までやってきて、何人かが集まって、楽器を奏でたりなどと宴を開いでいました。

ちょうどその頃、巡検司の官吏が崖の下を通り、上から音楽が聞こえてきたので、盗賊たちが集まって酒を飲んでいると思い、村人を集めてみんなで山を登りました。しかし、山頂に就くと、そこには趙抱一しかいなかったので、仕方なく、趙抱一を連れて山を下りました。

それ以来、趙抱一は甘菊や果実しか食べず、のどが渇けば井戸や泉の水を飲み、時にはお酒も飲みます。時が流れ、趙抱一もどんどん大きくなっていきましたが、顔はいつまでも幼いままでした。

農家に生まれ、学塾に通ったことすらないにもかかわらず、仙人から術を教わったため、智慧が開かれ、詩もすぐに作成でき、その口から出た言葉には、常に道家の義趣がふくまれていました。

ある日、趙抱一は都の寺院にやってきて、庭の後門の草亭で何日間も眠ってしまいました。ある和尚が彼を見かけて、ここに来た目的を尋ねた後、彼を寺院の住職のところに連れて行きました。涅槃堂の前を通りかかった時、趙抱一は中から呻吟の声が聞こえたのです。和尚に尋ねたところ、なんと疫病が蔓延していて、何人かの童侍(在俗のまま寺院で誦経や作務を習う少年のこと)が疫病にかかっていました。

趙抱一は瓢から薬を取り出し、和尚が持ってきた水に溶け込んで疫病にかかった童侍に飲ませました。すると、童侍たちは直ちに汗まみれになり、翌日には全癒したのです。

和尚たちはこれに驚愕し、間もなくして、都で話題となりました。疫病にかかった人々は救いを求めて、次々と寺院にやってきて、趙抱一も断らずに誰にでも薬を与えました。そして、なんと瓢中の薬もなくなることなく、減少した形跡もありません。人々は命の恩人である趙抱一を感謝するために、金銭や物品を渡しましたが、趙抱一は何1つ受け取らず、全て寺院に寄贈したり、巡検司の官吏に渡したりしました。

官府も趙抱一が妖しげな術で人々を惑わしたりしていないと分かっているものの、各地からあまりにも趙抱一を訪ねてくる人々が増加していくので、仕方なく、官府は彼のことを朝廷に知らせました。当時、宋の真宗・真宗(968年-1022年)が各地を巡ってまだ朝廷に戻っておらず、丞相・向敏中(949年-1020年)が都に残りました。このことを知った向敏中は官吏を遣わして、真偽を確かめました。そして、趙抱一が本当に多くの民を救ったことが確認され、直ちに真宗に書簡を送りました。

間もなくして、真宗は静寂な道観を建てさせ、趙抱一に与えました。天子直々の宣旨なので、官吏たちも早速道観の建設に取り掛かり、趙抱一に対しても礼後を持ち、護衛や夜回りの巡警まで派遣しました。

官府は、道士である胡太易らに趙抱一の世話役を任せ、趙抱一は行き届いた待遇を受けましたが、趙抱一が取る毎日の食事といえば、たった2、3個の栗や棗だけでした。

それから、1か月余りたち、真宗が京の都に帰還し、趙抱一を召見しました。趙抱一を見た真宗は、「君は朕と同じ苗字だな」と言って、趙抱一が正式に出家して道士になることを許可し、抱一という名を授けました。

やがて趙抱一は帰郷を懇願し、真宗は彼に金と銀でできた龍頭の杖や香薬など授けました。また、宦官の張茂先と道士の胡大義を派遣して、趙抱一を石門山まで同行させ、そして、趙抱一のために石門山に真寂観という道観を建てさせたのです。それから毎年、天子は趙抱一に紫衣(王増区や高僧などに与える服)を授けました。

北宋の仁宗が在籍していた嘉祐(1056年-1063年)の時、ある日突然、趙抱一が弟子たちを集めて、「少し疲れたな」と言った後、眠ったまま亡くなりました。それから100日間経っても趙抱一の体は、ずっと温かいままでした。やがて3年経過し、趙抱一の弟子たちはようやく趙抱一を埋葬しました。

この趙抱一が子供のころに出会ったその老人を見かけた人がいて、その老人が伝説の仙人、張果老だったと伝えられています。

『宋史』巻461、『暦世真仙体道通鑑』巻48に基づく

(作者・杜若 編集・天野 秀)