「1年前の私」から、生まれ変わった今の私

皆さん、初めまして。私は香港出身のシャーロットといいます。
今年22歳。15歳からずっと、豪州のシドニーへ留学に来ています。
私の変化の始まりは、昨年(2020年)の8月でした。南半球のシドニーは、もちろん冬。
私は、そんな重苦しい季節の雲に押しつぶされそうな気持ちを、自分でどうすることもできないでいました。
そうです。私は子供の頃から、何事につけてもネガティブにものを考える女の子だったのです。自分に自信が持てず、いつも自分を無価値な人間だと思って、意味もなく自分を責めていました。
そんな1年前の冬。今より一歳若かった私は、まさしく精神的にすり減っており、身も心もボロボロだったのです。
私にはその時、つきあっているボーイフレンドがいましたが、私のほうが、いつも晴れない気分でいたせいもあり、彼に不機嫌な表情ばかりを見せていました。おそらく、そのせいでしょう。私たち二人は会えばいつも喧嘩ばかりで、決して良い関係にはなれず、その時は分かれる寸前の状態だったのです。

転機の始まり

自室のベッドに、石のように固まった体を沈めていると、クラスメートの二人が、私を明日のパーティに誘いに来ました。二人はカップルで、モンゴル人の女の子のベラと、ベトナムから来ていたカイルです。ベラとカイルは、気持ちが沈んでいる私を見て、なんとか元気づけるために誘ってくれたのです。
二人の好意はありがたいのですが、正直、どこへも行きたいとは思いませんでした。私がベッドに寝たまま気だるそうにしていると、ベラが「シャーロット。このままだったら、あなたの体はおかしくなってしまうわよ」と言うので、その熱意に負けて、パーティへ行くことにしました。
私は今、学校で幼児教育を専攻しており、将来は幼稚園の教師になろうとしています。そんな自分が、こんな枯れ落葉のような情けない姿でいるわけにはいかないと、自分でも分かっていました。ただ当時の私は、その「分かっているけど、できない」が自分へのネガティブ思考につながってしまうという、まさに悪循環の中にいたのです。

体の異常

翌日のパーティの日。私は久しぶりに明るいメイクをして、誘われた場所に出かけました。パーティに集まったクラスメートは、6人ほどだったでしょうか。
耳が痛いほど大音量の音楽が流れる室内でおしゃべりしていた時、ベラが持参したお菓子の箱を開きました。
「シャーロット。これ食べて。私の手作りクッキーよ」。
私は、あまり食欲がなかったのですが、せっかくのベラの好意なので、一つつまんで口に入れました。少し変な味がしましたが、口では「うん、おいしい」と答えました。
しばらく皆で話してから「場所を変えて食事をしよう」ということになったのですが、なぜか私一人、気分が悪くなってしまったのです。

イメージ写真 rei125 / PIXTA(ピクスタ)

眠気とともに、頭がくらくらするような不快感を覚えました。普段、お酒も煙草も口にしない私にとって、これは初めての経験でした。明らかに体が異常を訴えています。
韓国人のクラスメートに支えられて、トイレからふらつく足で戻ってくると、私は今の自分の異常を皆に伝えました。

予想外の「友人の好意」

するとベラが、表情を思い切りゆがめて、こう言います。
「ごめんなさい、シャーロット。本当に悪気はなかったの。あなたを元気づけようと思っただけなのよ。さっきあなたが食べたクッキーは、マリファアナ(大麻)入りだったのよ」。
私は唖然としました。そこで怒りを爆発させるべきだったかもしれませんが、気持ち悪さと驚きのあまり、その気勢も湧いてきませんでした。
大麻所持は、豪州の一部の地域(シドニーを含む)では合法化されています。この時点で、私たちのしたことが明確に違法であるとは言えず、私以外の学生は、ほとんどがマリファナの経験者なのですが、こうして自分が知らないうちに、それを口にするとは思いもしませんでした。
それを「友人の好意」と強いて思うようにしても、私の体内に入った毒物は、明らかに私のなかで暴れているのです。私は耐えられなくなり、その場所から病院へ行きました。
ただし、大麻クッキーを口にしたことは医師に告げず、「たぶん食物アレルギーです」と申告しました。病院で少し落ち着いたので、医師の許可をもらって帰宅しました。

気力のない「重病人」

それは、たった「一度のこと」でしたが、以来、私の体は確実に狂ってしまいました。
その後、原因不明の体調不良が続き、私はいろいろな病院へ行って治療を受けることになります。いずれも全額実費なので、数か月で8000豪ドル(約64万円)も支払いましたが、治療効果はほとんどありませんでした。

イメージ写真 showtimeagiryna / PIXTA(ピクスタ)

その時の友人関係も、なくなりました。特にベラとカイルは、私が報復で提訴することを恐れたのか、全く私と連絡を取らなくなりました。ただ、以前には仲がわるくなっていたボーイフレンドが、私が弱っているこの間、そばで私を支えてくれたのは嬉しいことでした。
2020年の8月から11月まで、私は、生きる気力もない「重病人」でした。
学校を長期欠席して、あちこちの病院や漢方医を訪ねて、むやみにすがろうとしましたが、それは徒労に終わりました。とても学校へは戻れず、そのまま休学しました。

心から神様を求めて

体重も激減しました。以前には友人から「きれいだよ」と言われた私でしたが、鏡に映る今の私は、まるで別人のようにやつれた容貌で、見る影もなくやせ細っていたのです。
私は、幼いころから教会の学校に通っていましたので、神様を否定することはありませんでした。母と叔母は仏様を信じていました。そんな私は、大人になってからも、神仏に対して「信じないけど、尊重はします」という程度の気持ちしか持っていなかったのです。
しかしこの時、自分の生命の灯も消えそうになっている私は、心から神様に助けを求めていました。
ある日、良い薬を購入したいと思い、インターネットで探し当てた相手のサービススタッフは、私にこう言ってくれました。
「この世界には、奇跡があるということを信じてください」。
「その奇跡とは何ですか」と私が聞くと、そのサービススタッフの人は、自分の業務を離れて、私にこう言ったのです。
「シャーロット。あなたに九文字の真言を教えるわ。法輪大法好、真善忍好。さあ、あなたも言ってみて」。
私は、教えられた九文字を、復唱しました。法輪大法好、真善忍好。

私の身に起きた「奇跡」

その九文字が法輪功(ファルンゴン)の言葉であると、私にはすぐに分かりました。
香港にいたときも、シドニーに来てからも、法輪功の人たちが街頭でチラシを配ったり、坐禅をしているのを見たことがあったからです。
しかし私は、彼らに全く関心を持たなかったばかりか、残酷な迫害の様子を伝えるパネル写真には拒否感があって、その時は目を向ける気もしなかったのです。
そんな私が「法輪大法好、真善忍好」と唱えたその夜、本当に久しぶりに、ぐっすり眠ることができました。さらに不思議なことに、あんなにひどかった鼻づまりが、翌朝には全く解消されていたのです。私は驚きました。
私は、インターネットで法輪功のサイトを探し、法輪功の創始者である李洪志先生の9日間の講義を聴きました。そして先日、私に九文字の真言を教えてくれた女性をネットで探し出し、お礼を言うとともに、私の身に起きた「奇跡」について報告しました。彼女はとても喜んでくれて、私に『轉法輪』という本を繰り返し読むように教えてくれました。

恨みの全てを捨てる

やがて、私は「法を学び、修煉する者」になりました。つまり、法輪大法(法輪功も同じ)を自分の人生における、絶対不変の中心軸にしたのです。
そこに至るまでは、いくつかのハードルがありましたが、それらは全て解決されました。例えば、私の家族は始め、私が法輪功を学ぶことに猛反対しました。ところが、私が見違えるほど速く健康を回復し、もとの私以上に「生き生きと輝く私」になったことで、法輪功のすばらしさを認めないわけにはいかなくなったのです。
そして、もう一つ。私に大麻クッキーを食べさせたベラのことです。
私は一時期、ベラを深く恨みました。私の体はめちゃくちゃになり、死ぬほどの苦しみを嘗めさせられ、その治療のため大金を散財したのです。
提訴して報復することも考えなかったわけではありません。しかし法輪大法は、その恨みの全てを捨てなさいと、私に教えました。
「大麻クッキーを食べて病気になったからこそ、その過程で苦しみ、法輪大法と出会い、自分の人生を再生することができた。そのことを、今は感謝しなければならない。だからシャーロット、あなたはベラに対する恨みを捨てなさい」。
『轉法輪』に書かれていることは、私にそのようなことを説くのです。

生まれ変わった私

仮に、ベラの行為が私への加害だったとしても、そもそも前世において、私がベラを傷つけていたかもしれないのです。その前世の借りを、現世の今、こうして請求されたのかもしれません。だとすれば「これで貸し借りなし」ということではありませんか。
私は全ての恨みを捨てて、ベラと再会しました。私たちは、お互いを抱きしめて、仲直りすることができました。
ただ、残念だったのはベラの彼氏だったカイルです。カイルは、マリファナ中毒で幻覚を起こし、8階から飛び降りて死亡しました。
その訃報を聞いたとき、「なぜ私は大法弟子(法輪大法を学ぶ弟子)としてカイルを救えなかったのか」と自分の手遅れを恥じて、泣きました。
今年2月、私はすっかり健康を取り戻し、いえ、前よりもっと元気になって学校に復学しました。もちろん、子供の頃からのネガティブ思考も、嘘のように消えていたのです。
幼稚園教諭になる夢は、もちろん実現させるつもりです。
そして、それ以上の喜びと使命感をもって、法輪大法の修煉の道を貫いていきます。
それが、生まれ変わった私の新たな人生です。

(翻訳編集・鳥飼聡)