【命理】人は「前世での罪」を償わずに済むか?

清朝の頃のことです。

杭州に湯世坤(とうせこん)という「秀才」がいました。この秀才とは、官吏登用試験である科挙の予備試験まで合格した資格「生員(せいいん)」の美称です。

まだ本試験である郷試(きょうし)合格までは達していない身分ですが、秀才ともなれば一定の学識はあると見なされますので、地方の官学や郷里の子弟を教育する学館(私塾)で教師をすることができます。

杭州の学館で教える湯世坤は、すでに30代の半ばでしたが、まだまだ上級試験合格を目指して学問を続けていたわけです。

ある冬の夜でした。学館で学ぶ子供たちはもちろん帰宅しています。ひっそりと静まりかえった教室で、湯世坤は一人、小さな灯火をともして書物を読んでいました。窓は全て閉ざしてありますが、冷ややかな夜風が屋内に吹き込んで来ます。
午前零時ごろの真夜中に至っても、湯世坤はまだ灯火を寄せて書物を読み続けていました。

ふと見ると、頭部の無い男が一人、教室内に闖入して来ました。いや、その後ろに六人、同じく肩から上の頭部がない男が続いて入って来るのです。


首はどうしたかと言うと、七人がそれぞれ、鮮血をだらだらと滴らせたままの生首を腰のあたりに吊るして持っています。湯世坤は、あまりの恐ろしさに凍りつき、声も出せないまま硬直していました。

ちょうどその時、学館の下僕が、湯世坤のために夜壺(尿器)をもって入室して来ました。七人の鬼(幽霊)たちは、わあっと声を上げて散り、消えてしまいました。

学館の下僕が目にしたのは、完全に気絶して床に倒れている湯世坤です。下僕はすぐに学館の管理人である範老爺を呼び、二人で懸命に湯世坤の救命に当たりました。

さいわい湯世坤は息を吹き返し、範老爺が作ってきた生姜湯を何碗か飲むと、ようやく落ち着きを取り戻しました。


湯世坤は、今みた恐るべき光景を二人に語り、「何日か自宅で休ませてほしい」と求めました。範老爺は承知し、轎(乗り物)を呼んで湯世坤を自宅へ送り届けるよう手配しました。

この時、もう空はずいぶん明るくなっていました。轎夫(かごかき人足)は、範老爺に言い付けられた通り、湯世坤を城煌山のふもとにある彼の家へ向かいました。ところが城煌山にまもなく近づくところで、轎に乗っている湯世坤が「行くな。学館へ戻ってくれ」と言います。仕方なく、轎夫たちは湯を乗せたまま学館へ戻りました。

戻ってきた湯が範老爺に言うには、「だめだ。首なしの七人が、行く手に並んで待ちかまえている。私がこの道を通るのを、やつらは知っているのだ」。範老爺はそれを聞き、湯をしばらく学館に住まわせることにしました。


こうした紆余曲折を経ていくうちに、湯世坤はとうとう大病を患ってしまいました。全身が火のように熱くなり、全く熱が引かないのです。範老爺はとても人情味のある人なので、湯世坤の妻を学館に連れてきて、薬を煎じ、二人して懸命に湯世坤を看護しました。

しかし3日もたたず、湯は意識を失ってしまいました。このまま死ぬかと思われた翌日、また目を覚まし、もうろうとしながら妻にこう告げました。

「妻よ。私はもう長くない。いま目を覚ましたのは、お前に別れを告げてこいという冥府の長官(閻魔王)のお情けだろう。昨日、私が危篤になったとき、四人の青衣の男が私を連れ去ろうとしたのだ。彼らが言うには、ある者たちが私の前世の罪を告発した、その償いとして私の命をもらうのだと。四人の青衣は、私を茫茫とした黄砂の平原へ連れて行った。私はやっと、そこが冥府だと分かったよ」


臨終の床にある湯世坤から妻への語りは、次のように続きます。
そこで湯は、四人の青衣の男たちに向かって、「私が前世で、何の罪を犯したのか?」と問いました。その男たちは、「まあ、もうしばらく自分の本当の姿を見て考えなさい。すぐに分かるよ」と言います。

「そうは言っても、人は自分の前世を知ることなど出来ないではないか。私に一体どうしろというのかね」

すると青衣の男の一人が、「これを見よ」と柄のついた手鏡を湯に渡しました。鏡を覗いて見ると、そこには体格が立派で、あご鬚が七寸も伸びた男性が映っていました。どうみても、青く痩せた書生である今の湯世坤ではありません。


湯世坤から妻への話は、さらに続きます。
青衣の男たちは、鏡の人物を指して、湯にこう告げました。
清の前王朝である明の末年に、湯世坤の前前世にあたる人物がいました。名を呉鏘(ごそう)と言い、婁県の県知事でした。この七人の首なし鬼は、もとは七人の強盗で、各地で盗んだ四万両の金をある場所に隠していました。

その七人の強盗は、いちど官警に捕縛されたのですが、隠していた四万両を官府への賄賂にして、なんとか死罪を免れるよう画策したのです。強盗たちは、婁県の警察長官である許という人物に、その渡りをつけることを託しました。二万両の金を許が着服し、残りの二万両を県知事の呉鏘に賄賂として贈り、お目こぼしされるよう企んだのです。

呉鏘(つまり湯世坤の前前世)は「この七人の罪は重く、目こぼしできない」と判断して、はじめは許の誘いを拒絶しました。


そこで許は、古い歴史書である『春秋左氏伝』にある語句「殺爾、璧將焉往(お前を殺しても、宝玉が消えるわけではない)」を引用して、さらに呉知事を籠絡しようとします。

(訳者注:『春秋左氏伝』哀公十七年より。異民族の軍勢に攻められて捕えられた衛の荘公が、命乞いするため自分の宝玉を差し出したところ、真っ先に殺されて宝玉も奪われた故事を指す)

つまり「七人をだまして、まず金の隠し場所を聞き出してから、あとで全員処刑すれば良いでしょう」ということです。呉知事はこれに心を動かされ、結局、許の誘惑の通りにしてしまったのです。七人は首を切られて死にました。金も奪われて、もう後の祭りでした。


湯世坤から妻への話は、また場面を変えて、次のように続きます。
「私(現世の湯世坤であり、前前世の呉知事でもある)は、4人の青衣の男たちに連れられて、また別の場所へ行った。そこは壮麗な宮殿だったよ。宮殿の中央には、龍の袍(ほう)に身をつつんだ冥府の長官が座していた」

はじめ冥府の長官(閻魔王)の表情は、とても穏やかであったと言います。湯世坤が、長官の御前にひざまずき、平服していると、その横に首のない七人の鬼(幽霊)がずらりと並んで同じ姿勢をとりました。

七人は、腰の横に吊り下げていた自分の頭を両手で肩の高さまで持ち上げました。
すると、それぞれの口が「呉知事の処置はひどすぎる。われわれは騙され、金を奪われて殺されたのです。もう一度審議してください」と言って冥府の長官に上告したのです。言い終わると七人は、自分の首を再び腰の横にもどしました。

それを聞いた湯世坤(呉鏘)は冥府の長官に向かって、哀願するように寛恕を求めました。長官は、このように言いました。
「私は特に意見はない。呉鏘よ。まずは自分でこの七人に態度を示しなさい」


そこで湯世坤(呉鏘)は、七人のほうへ向きを変えて叩頭し、「どうか許してください。私は(もしもまだ死なずに)現世にもどれば、必ず高僧にたのんで七人の方々を手厚くご供養します。皆さんのために、多くの紙銭も焼いてあげます」と懇願しました。

七人の首なし鬼はこれを承知せず、大いに不満な様子です。腰のところの七つの頭が激しく揺れ出したかと思うと、恐ろしく凶悪な顔になり、歯をむき出して湯世坤の首に噛みつこうとするありさまです。
この時、さっきまで穏やかな表情だった冥府の長官が一変し、すさまじい形相で大喝しました。

「黙れ!強盗ども。恥知らずにも程があるぞ。なんじらが犯した罪は、もともと死罪に当たるものである。呉鏘が判断を誤ったわけではない。確かに呉鏘にも邪心があった。なんじらが隠した盗み金を横領したことだ。しかし、第一に咎められるべきは警察長官である許であり、誤鏘ではない。よって誤鏘の処分については、しばらく執行猶予を与える」

七人の首なし鬼どもは、いちど下ろした首を、再び肩の高さに持ち上げて、泣いて訴え始めました。

「われらは、誤鏘が横領した金を返してほしいのです。誤鏘の命がほしいのではありません。この誤鏘という県知事も、長く朝廷の俸禄をむさぼってきた、言わば盗賊ではございませんか。警察長官の許は、もうすでにこの七つの首が飛んで行って、噛み殺しています」


湯世坤がいま妻に語っている「七人の幽霊の哀哭」は、まだ続いています。
七人の首なし鬼(幽霊)の言によると、明末の人である誤鏘は、その後何度か生まれ変わり、清朝のあるとき一度だけ美女に転生したことがあります。
その美女は清朝の吏部尚書である宋牧仲(宋荦1634~1713)に嫁ぎましたが、宋牧仲があまりに高位の官人であるため「われら七人の鬼どもは近づくことができなかった」と言います。

またそれとは別に、誤鏘は湯家の人間として転生しました。湯家は祖先のなかに、善行に務め、徳を積むことで家名を上げた人物がいたはずです。そのため「今年の大晦日には、湯世坤が文昌帝君(道教の学問神)によって天榜(天上の名録)に入れられる」つまり郷試に合格する予定者名簿に入れられる、と言います。

十一
郷試に合格すれば挙人(きょじん)であり、科挙の正式な合格者となりますので、無念を晴らしたい七人の幽霊どもはますます近づけず、お手上げになってしまいます。

「今回、湯世坤をこうして捕えましたのは、決して簡単なことではなく、我われ幽霊どもにとって千載一遇の機会なのです。どうか冥府の長官さま、湯世坤にお情けをかけて再び釈放して生かすことのないよう、お願いいたします」
七人の首なし幽霊の訴えを聴き終わると、冥府の長官は、眉間にしわをよせて、こう言いました。

「なるほど幽霊どもの申し分にも一理ある。されども、ほんの一時だけ陽間(現世)に帰ることを許してやろう。湯世坤は、妻に別れを告げてきなさい」

十二
湯世坤は、顔をのぞきこむ妻に言いました。
「これが、私が冥府で見てきたことだ。今こうして目を覚ましたのは、お前に別れを告げるために与えられた時間なのだよ。ありがとう、愛する妻よ」

そう告げると、湯世坤は静かに目を閉じ、もう口を開くことはなくなりました。
妻は湯世坤のために大量の紙銭を焼きましたが、夫の霊魂は戻ることなく、そのまま死にました。

その二年後。湯家の本族にいた湯世昌という人物が、郷試に合格しました。ついに湯家は挙人を排出した名家となったのです。後にこの湯世昌は、最高級試験である進士にまで及第し、皇帝の側近として詔書の起草などをおこなう翰林院に進みました。

世の人々は、「きっと天上の文昌帝君が、天榜にあった湯世坤の名前を湯世昌に書き替えたのだろう」と噂しました。

(文・泰源/翻訳編集・鳥飼聡)