暦とともに振り返る食文化 八宝粥(1)

旧暦12月8日「臘八節」に八宝粥で養生する

大寒も過ぎ、寒い日が続きます。太陰暦の「臘八節」ごろは、1年の中でも寒さの厳しい時期とされていますが、漢方ではこの時期に「八宝粥」を食べると体が温まり、健康を維持できるといいます。

「臘八節」の「八宝粥」は冬季の養生に最適

旧暦の12月8日は、古来から「臘八(ろうはち)」と呼ばれ、釈迦が苦行を放棄し、菩提樹の下で悟りを開いた成道の日をさします。

朝早く起きて、栄養たっぷりの温かい八宝粥を食べるのは、至福のひとときであると言えますが、現代人の日常生活では、「八宝粥」を食べる習慣が失われつつあります。

昔の人は八宝粥を作って食べることで、人々は温かく敬虔な気持ちになり、お祭りの雰囲気の中、八宝粥を食べていました。八宝粥には、果物がたくさん使われ、厳しい寒さの冬に、八宝粥を食べることは、天と地と人間が調和するための健康維持法でもあります。

冬、五行では精気を蓄える臓器である腎臓に対応し、粥の材料は穀物、豆、ナッツなど、いずれも精を蓄える植物で、生命の活力を維持します。

「臘八粥」を煮る

一般の家庭では、「臘八粥」は七宝粥とも呼ばれ、宋王朝の人々はそれを「七宝五香粥」と呼んでいました。宋王朝の周密の『武林舊事』の記録によると、「八宝粥はクルミ、松の実、牛乳、きのこ、柿、キビで作られています」と記され、元王朝の孫国庵による『燕都遊覽志』には、「12月8日、人々は米と果物を混ぜて粥を作り、果物が多く入ったものが最高です」と述べられています。

清代の宮殿の八宝粥の材料は、米やナッツなど、様々な食材を使って粥が作られていました。

『燕京歲時記』によると、「太陰暦の12月8日、雍和宮のラマ僧は、お粥を炊いて仏陀に供物をしました。かつて清の皇帝は毎年菩提の日を祝い、雍和宮は粥を炊いた場所でした。

お粥を炊く釜は非常に大きく、現在も紫禁城に数石(単位)のお米を入れることができたこの釜が展示されています。

この大釜を見た人々は、はるか昔、仏を崇拝し、お粥を提供した壮大な行事を連想し、当時の仏を崇拝する真摯さと、美しさを思い起こさせます。

12月8日、まだ天と地が暗いうちに、粥を作り始め、一晩中、材料をこすり洗ったり、殻を剥いたり、水に浸したり、煮たりといった準備をします。人々が朝日で目覚める頃には、大きな釜に湯気の立った甘い八宝粥ができあがります。

出来上がった八宝粥は、最初に神々や仏陀を崇拝するために供えられ、その後家族や親戚、友人と分かち合います。昔は、寺社でも信者にお粥を配っていました。
 

(翻訳・星野一)