北宋名将 張永徳の奇縁(2)

張永徳の不思議な縁

趙匡胤と戦場で共に働いた張永徳は趙匡胤を支援し、趙匡胤は推されて北宋王朝を築きました。宋太祖は張永徳を心の底から信頼し、優遇して侍中に任命しました。

宋太宗・趙匡義が帝位を継承した後も、張永徳を優遇し、左衛上将軍に任命しました。張永徳と宋太祖・趙匡胤と宋太宗・趙匡義との間には奇妙な縁がありました。

以前、張永徳は後周で周世宗・柴栄に仕え、殿前指揮使になりました。張永徳は道教が好きで、道教徒が彼の屋敷に住んでいました。

ある日、科挙を勧められていた書生が彼に会いに来て、そこで病気になりました。病気の書生は回復までの数年間、彼の家に住んでいました。

張永徳は書生にとても親切にしていたのですが、書生は良くなるとすぐに家に帰りたいと考えました。

永徳は、「私はあなたを冷遇してないのに、なぜそんな早く去るのか?」と問いました。

書生はその問には返事をせず、「先生、私は少し術が使えます。出発前に試します」と言い、薬を取り出すと、水銀を金に変えました。永徳は驚き、彼に学びたいと思いました。

書生は「先生、あなたには30年間の富があるはずです。この種の小さな術など学ぶ価値がありません!」と言いました。

永徳は何度も彼を止めましたが、できませんでした。「将来、機会があれば、淮河の岸で会えるでしょう」と書生は言い、去っていきました。

その後、周世宗が寿春を攻撃したとき、張永徳は軍と共に出征しました。 彼は弓が得意で評判でした。 時々郊外で練習すると多くの人々が見に来て、いつも人垣ができていました。

ある日、張永徳が弓を練習をしていると、観客の中に僧侶がいました。よく見ると彼の家に数年間住んでいた書生でした。張永徳は彼を軍に連れ戻りテントの中で休ませました。

張永徳は彼の昔の話を思い出し、真夜中に周りの人を出すと「どうすれば30年間富を持てるのか」とこっそりと尋ねました。

僧侶は、「もし猪年に生まれた二人の人と出会い、その二人がよく仕えるとあなたはあなたの富と名誉を保つことができます」と言い、翌日去っていきました。
 

(翻訳・李明月)