【財商天下】400年にわたりビジネス界を席巻した安徽商人の伝説(2)

誠意を持って人に接する

たとえば、徽州商人の商売の基本は、「誠意を持って人に接する」ことです。 徽商は、商人と顧客はお互いに互恵互利の関係であり、商人は誠実で偽りのない誠実な対応をしてこそ、顧客から信頼を得ることができることを知っています。

ですから、彼らのビジネスでは、騙して儲けるよりも、誠実なために損をするほうがいいのです。

清の時代に、広東省珠江で茶の貿易を営んでいた婺源の商人、朱文熾の物語があります。朱文熾は、 販売するお茶が新茶でなくなった時、必ず取引契約に「陳茶(古い茶葉)」と記載し、決して隠しませんでした。

朱文熾は、珠江で20年以上茶葉の商売をしており、何万両の損失が出ましたが、少しも動揺したり、後悔しませんでした。

自分の商売でなくても、他人と提携して経営したり、人に雇われたり、他人の商売を手伝う時でも、徽商は「誠」の字に従いました。

他にも徽商の詹谷の物語があります。 

婺源人の詹谷は、上海の茶店の店員でした。非常に勤勉で有能だったので、店主に信頼されていました。

ある日、店主は家に用事があり、詹谷に店を任せて田舎に帰りました。当時は戦乱が起きており、店主の家は遠く、交通が不便な状況でした。そのため、店主は店に戻ってきませんでした。

戦乱の中、詹谷は1人で店を経営し、大変苦労しましたが、茶店の経営は順調に利益を上げていました。 10年後、店主の息子が茶店に戻ってきた時、詹谷は、数年来の帳簿を若い店主に渡しました。帳簿には、すべての勘定がきちんと記載されていました。

詹谷は故郷に戻るとき、若い店主は報酬の他に銀400両を追加して渡しました。しかし、詹谷はそれを受け取らず、茶店の業務を丁寧に説明してから、若い店主に別れを告げて故郷に戻りました。

このような物語は、現在聞いて理解しづらいかもしれませんが、詹谷の行為は、本当に道徳的な君子と呼ばれています。

信用を持って取引をする

また、徽州商人は非常に承諾を大事にしており、約束を守ります。1度他人と約束をしたら、必ず守って変えません。

たとえば、婺源の商人の江恭塤は、浙江省の湖州出身の陳万年と共に商売をし、長年にわたり大金を稼いでいました。しかし、陳万年は突然病に倒れ、1年後に他界してしまいました。

ビジネスパートナーだった江恭塤は、数年来の帳簿から、陳万年の受け取る分を計算し、1800両を超えた大金を自ら陳の妻に届けました。

陳の妻はとても感動し、感謝の気持ちを表すために、銀の一部を贈ろうとしましたが、江恭塤はそれを断りました。

義を持って利益を得る

徽州商人は、商売に信義を持つだけでなく、仁義にも厚かったのです。
「義」と「利」を前に、徽州商人の多くは「義利」をとなえ、つまり「義」でお金を稼ぎ、「義」にそぐわないお金は稼がないということです。

ここに「義利を重んじる」徽州商人の物語があります。
休寧の商人の劉淮は、米穀商で、長期嘉湖の近くで穀物を買い付けていました。
ある年、大きな自然災害があり、人々は収穫を得ることができませんでした。

備蓄していた穀物を、高値で売るよう劉淮を説得する者もいましたが、劉淮は「飢えた人々が生き延びることが最も重要だ」と考え、その提案を拒否しました。

そして、劉淮は値段をつり上げたりせず、自分の穀物を市場の価格以下で売りました。 しかも、食糧を買えない被災者のために、粥小屋を開いたりもしました。

人々は劉淮の慈善的な行為を見ており、良いことをすれば報われるのです。災害後、劉淮の商売はさらに繁盛しました。

また、「義」と「利」が両立できない時、多くの徽州商人は、「義」のために「利」を捨てることさえありました。

清の時代に、休寧の商人の呉鵬翔は、胡椒の商売をしていました。契約した後、800石の胡椒を買いました。まだ代金を支払っていませんでしたが、胡椒に毒があることに気付きました。

売主は全部回収すると言いましたが、呉鵬翔はそのまま胡椒を買い、燃やして廃棄しました。

なぜなら、返品すると他人に転売されるかもしれないので、自分が損をするほうがましだと思ったからです。このような義理や人情に厚い精神は、稀有で貴重なものです。

清の道光時代に、徽州商人の朱存剛は、「商人は『義を利とす』ことでしか、限りない富を切り開くことはできない」と語ったことがあります。このような考え方は、徽州商人の代表的な信条です。 

(翻訳・李明月)