【財商天下】400年にわたりビジネス界を席巻した安徽商人の伝説(4)

善を基本とする

「天命を尊ぶ」「世の中を助ける」という儒教の思想の影響を受けていたので、多くの徽州商人は儲けた後、慈善事業や公共福祉に熱心でした。

道路や橋の建設、貧民の救済、乳幼児の育成、学校の運営など、商人たちは惜しみなく寄付をしました。このような話はたくさんあります。

たとえば、明朝万暦年間に、饒州へ行った米商の湛静瑞は、現地の穀物が不作で、飢饉が深刻であることを知りました。そこで無数の被災者の命を救うために、米4200石をすべて寄贈しました。

また、清の時代の初期、徽州歙県の塩商人の商江演は、郷里の交通整備のために数万両の銀を寄付し、さらに揚子江の浚渫に巨額の寄付をしました。

徽州商人の多くは商道を重んじ、「儒道」に適った商売をしていました。しかし、中には「徽州の犬」と呼ばれる手段を選ばない利益至上主義の悪徳商人もおり、それらの商人は徽州の人々から軽蔑されました。

徽州は南宋の儒学者、朱熹の故郷であり、「文献の国」「礼節の国」と呼ばれ、儒教の地位は他の地域よりも尊ばれていました。

徽州の人々は、儒教を広げるために学校を設立し、書院を設置したほか、家訓には、一族の者は儒教の道徳を守らなければならないと明記されていました。

また、婺源県の多くの家族は、毎年旧暦の3日と18日に一族が祠(ほこら)に集まりました。

そして、年長者に孝行すること、兄弟を愛すること、夫と妻は仲良くすることを教え、儒教による道徳律を破った者を罰しました。

このような風習が、徽州の「儒教一色」の状況を作り出していました。

儒教では、家庭の秩序を守り、国を治め、世界を平和に保つには、まず自分の道徳心を養うことを重んじます。

つまり、人間としての素養が大切であり、人間であるためには、道徳心が重要であると考えています。

昔から言われているように「厚徳載物(こうとくさいぶつ)」なのです。
徳は福と富の根源であり、福も富も徳が変化したものなので、人が豊かになろうと思えば、やはり多くの「徳」を積み重ねるしかありません。

このことは、少なくとも徽商について伝承された物語からも、生き生きとした解釈を見い出すことができます。

(翻訳・李明月)