医食同源:「梅干し」は日本民族を守った功労者

梅と聞いたら、花を観賞する以外に、台湾人や中国人にとっては喉の渇きをいやすイメージしかないのかもしれません。

日本の「梅干し」は高級品

ところが、私が旅行などで日本に来てみると、旅館の食事に梅干しや梅肉をつかった料理が頻繁に出てくるし、高級な贈答品として今もなお「梅干し」が使われている姿に驚かされるのです。

梅干しは、日本人の食事に欠かせない一品であるとともに、いざというときに備えて持ち歩いている「命を救う薬」です。あるいは梅干しは、日本人の「かかりつけ医」なのかもしれません。

日本の諺(ことわざ)に「梅は、その日の難逃れ」というのがあると聞き、本当にその通りだと思いました。「朝食に梅干しを一個食べれば、1日を難なく、健康に過ごせる」と言います。誠に深みのある、日本人の知恵ではありませんか。

これが迷信ではない証拠に、梅干しを食べることによって、食物、水、血の「三毒」を解くことができます。ここでいう「血の毒」とは、血液中の不要な老廃物などを指します。

さらに、下痢、風邪の解熱、咳止め、腐敗防止、疲労回復、熱中症の緊急対応にも、梅干しは優れた効果を発揮するのです。とくに梅干しに強い酸味をもたらすクエン酸が、その役割を担っています。
 

奈良時代に渡来した梅

梅は、奈良時代に中国から薬として日本に伝わりました。中国は、隋朝のころです。

日本で現存最古の医学書『医心方』は平安時代の編纂ですが、その記載によると、梅を「烏梅(ウーメイ)」と呼び、梅のもつ解毒養生の薬効が日本人の心に浸透していた様子が伺われます。

ここで一言、日本の当時の医療について、付言しておきたいと思います。

当時の日本では、医療は主に漢方医学に頼っていましたが、漢方医学を理解し習得した医者は非常に少なく、こうした医書は日本の宮廷医学の秘伝書と見なされていました。

そのため日本では、漢方医学の普及においては中国や朝鮮とは比べものにならず、医術を理解できるのは主に中国文化を日本に伝えた儒学者や僧侶、漢書を読解できる高級知識人に限られていたのです。

そこで日本の医者たちは、病気の患者を治療するよりも、日常の食物を研究することによって病気を未然に防ぐことに傾注したのです。そうして彼らは、日常の食べ物のなかから、病気を防ぐ知恵を次々と発見していきました。
 

庶民がつくる「本当の健康食」

昔の日本人は、おそらく期せずして「医食同源」を実践していったのでしょう。

そのため、梅干しの作り方や食べ方は、医書に記載されているだけでなく、民間や地方で急速に発展しました。これが医学や薬学と食物学の異なる点であり、専門家である医師や学者ができないことを、名もない庶民がどんどんやってしまうのです。

江戸時代になると、シソ、ハチミツ、鰹節、昆布などを加えたさまざまな製法が生まれたのも、その現れです。

今日、日本に残る伝統的な和食や食材は、薬膳の理論にかなったものがほとんどで、非常にヘルシーな食べ物ばかりです。

 

一碗の朝粥にも、日本で独自に育まれた医食同源の思想が込められています。
   masa / PIXTA(ピクスタ)

「日の丸弁当」で元気になる

さて、日本人にとって、国旗のかたちに似た「日の丸弁当」には特別な思いがあるそうです。

それは、戦後まだ貧しかった日本の民が、「日の丸弁当」の功徳だけで懸命に働き、厳しい歳月を生き抜いて今の日本を築き上げたという、民族の誇りでもあります。

実際、近代以降も日本人は、例えば軍隊で長い行軍をしたり、炎天下で農作業したりするとき、いつも梅干しを持ち歩きながら、疲労回復をはかりました。時には、軍医に薬を求めることができない緊急時に、梅干しが「救命の特効薬」として使われたのです。

今でも日本では、家庭の主婦が、子供やご主人のお弁当やおにぎりを作るときに、梅干しを入れます。

それは、腐敗による食中毒の防止や食欲増進、適度な塩分摂取もできるので熱中症の予防にもなるという、見事な医食同源の実例なのです。

日本の江戸時代のことです。
庶民は子供が風邪を引いて熱を出したとき、あるいは下痢を起こしたとき、すぐに紫蘇(しそ)で漬けた梅干しを壺から取り出し、熱い湯を注いで子供に飲ませました。

今のような医療がなかった時代、塩漬け梅の一粒は、ずっと日本の家庭を守り、庶民が安心して生活できるようにした、まさに大きな功労者だったのです。

(文・白玉熙/翻訳編集・鳥飼聡)