臨死を体験した脳外科医が語る「魂が行く場所」

これから皆さんにお話しすることは、ハーバード大の神経外科医である私が、実際に経験した「臨死体験」です。

 

肉体を離れた「意識の旅」

周囲から見て完全に意識不明の状態になった私が、その間、自分でも全く意外なことですが「意識の旅」をしていました。

私が、なぜこのような目にあったのか。それはもちろん「その時の私」には分かるはずもないのですが、要するに、重篤な細菌髄膜炎によって脳が侵され、昏睡状態に陥っていたということです。

臨死体験と聞くと、人の反応は基本的に以下の3つに分類できます。

1つは、自身が臨死体験を経験した事実を信じる人、またはそのような他者の経験談を聞いて抵抗なく受け入れられる人です。

それに対して、(以前の私のように)臨死体験など絶対に信じないと言い張る人もいます。そのような人は、およそ唯物論者であり、「肉体の外に意識が存在する」という考えを荒唐無稽なものとして、全く受け入れることができない人です。

そして第三のタイプは、この2つの中間に位置する人で、いわゆる「臨死体験」というのはあるかもしれないが、それは肉体の外に存在するのではなく、あくまでも死にかけた脳が生きていこうと「もがく」ことで起きる反応、つまり一種の幻覚だと考える人です。

 

「あれは幻覚ではない」

しかし、図らずも実際に経験した医者(つまり私)は今、それとは違う見方をしています。
自分の思考の幅が広がるにつれて、私はますます臨死で体験した事実を認識し、それを広く伝えなければならない「責任」を感じているのです。

私が「この世に戻ってきた(昏睡から覚めた)」のは、意識を失ってから4日目の晩(あるいは5日目の晩)でした。それまでの間、私は、自分の体の外にいました。私はその世界で、確かな視覚や聴覚をもち、明確で論理的なイメージを生成していたのです。

その時点までに私が病院で受けた医療は、私に各種の強い薬剤を投与するものでした。その薬が、私に幻覚を起こさせた可能性はないでしょうか。

おそらく、その可能性はないと思います。なぜなら、その時、私の大脳皮質は外来の有毒な細菌に侵されていて、全く機能していなかったからです。大脳皮質が機能していなければ、そもそも「幻覚」という現象は起きません。

特に、大脳皮質を侵す細菌性髄膜炎は致死率が高く、たとえ死ななくても重い障害が残るのが普通です。私のように、きわめて迅速かつ完全に回復することができたのはなぜなのか、無事に生還した私は真剣に考えなければなりませんでした。

 

臨終の「その時」に何かが起きる

医学的に言えば、私の完全回復は起こりえない現象で、奇跡と言っても良い事例です。
このようなことが起こったのには、本当に何かの原因があったのかもしれませんが、それはまだ私にも分かりません。

私は「目覚めて」から約2年後、世界トップレベルの神経科学研究機関の所長をしている友人や医療に従事する友人を訪ねて交流しました。そのなかの一人、ジョン(彼の本名ではありませんが)は私の旧来の友であり、医師で、一流の科学者です。

久しぶりに会ったジョンに向かって、私が昏睡状態のなかで経験した「霊魂の旅」を伝えたところ、彼は非常に驚いた様子を示しました。それは、私がクレイジーに見えたからではなく、彼が以前から困惑し、探し求めていた答えをついに見つけたからだそうです。

その1年前のことです。ジョンの父は、5年間にわたる闘病生活の末、いよいよ人生の終わりに近づいていました。ジョンの父は、もうその頃には自分で動く力がなく、意識も混乱していたため、苦痛のあまり、いつも死にたいと思っていたのです。

その一方、ジョンの父は臨終の床で、「お願いだ。何でもいいから薬をくれ。こんなままで死にたくない」と、死への恐怖と生への未練も訴えていました。それほど意識が混乱していたのです。

 

「見えない肉親」と会話する

すると突然、驚くべき変化が起きました。
ジョンの父は、ずっと意識が混乱していたそれまでの2年間よりも、はるかに明晰な意識で、自分の人生や家族について「会話」を始めたのです。

ただし、ジョンの父が会話する相手は、そこにはいませんでした。
のぞきこむ息子のジョンからは目をそらし、ベッドに横になったまま、足元の「空気」と会話を始めたのです。

その会話を聞いていたジョンは、いま父親が話している相手が誰であるか、分かりました。

その時、臨終の床にあるジョンの父は、65年前に亡くなった母親(つまりジョンの祖母)と会話していたのです。65年前と言えば、ジョンの父はまだ10代の若さでした。

ジョンが記憶する限り、父は自分の母親のことをほとんど口にしませんでした。しかし、最期の時が近づいた今は、喜びに満ちた表情で、生き生きと話しています。

ジョンの目には、そこにいる「祖母」は見えませんでした。しかしジョンは、祖母の魂が確実にその場にいて、父の魂がこれから「もとの家に帰る(逝去して天国へ行く)」のを迎えに来ていることを確信していました。

数分後、ジョンの父は息子(ジョン)に顔を向けました。その表情は、病に苦しんだ以前とは全く違って微笑んでおり、ジョンの記憶の中のどの時よりも穏やかなものでした。

「パパ、ぐっすり寝て」。ジョンは思わずそう言った後、こう続けました。「もういいから。後のことは心配しないで」。

 

安らかに天国へ旅立つ幸せ

それを聞いたジョンの父は、息子の言うように静かに目を閉じ、穏やかな表情のまま亡くなったそうです。

亡くなった祖母と父との「再会」は、とてもリアルな場面でした。
しかし、どうしたらいいのか分からなかったとジョンは思ったそうです。自身も医者であり科学者であるジョンは、「そんな現象は、ありえない」と信じていたからです。

臨終をむかえた高齢者が、意識が混濁していよいよ亡くなる直前に、ジョンの父親のように意識が突然明晰になる例はよくあります。

この不思議な現象について、これまでの脳神経科学は何の説明もしていません。

ジョンは、私の臨死体験を聞くと、「君のおかげで、長い間待ち望んでいた許可証を手に入れたようだよ」と満足そうに言いました。

それは、「目の前で見た全てを、素直に信じることを許可する認可証」なのでしょう。
その資格を得た者は、人を深い安らぎへ誘う事実が、まさにこの世に存在することを知るのです。

永遠の魂は、私たちがいる、この物質世界のなかに存在しています。
そして、その魂は死後に肉体を離れ、聖なる神によって創造主のいるところ、すなわち天国へと導かれ、創造主の無限の愛を受けるのです。

(翻訳編集・鳥飼聡)