父親から見捨てられていた子が鍼灸の術を教わり名医となる(1)

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黄石屏(名黄燦,1850-1917年)は清王朝中期から後期にかけて活躍した鍼灸の有名な医師です。彼は薬草などを使用せず、鍼灸のみで内科、外科、難病などを治療し、主に、上海、揚州、江蘇あたりで活動していました。そして1916年、黄石屏は『針灸銓述』を著作しました。

黄石屏の父である黄良楷は、長年、山東省で役人を務め、地元の人々から慕われていました。実直な役人だった黄良楷は、ほとんど貯金が無く、晩年の頃、病により半身不随となってしまい、名医を探してみましたが誰も治せませんでした。

このまま死を待つしかないと思っていたある日、80代の和尚が、黄良楷に会いにやってきました。その和尚が言うには黄良楷の病気を治せるというのです。和尚は、とても元気で活発で、後ろから見れば、とても老人には見えませんでした。

和尚は部屋に入り、黄良楷に「私のことをまだ覚えておるかな?」と尋ねました。しかし、黄良楷は思い出せませんでした。すると和尚は「思い出せないのも無理はない。私は蓬萊県にある千佛寺の住持、円覚じゃ。10年以上前、寺の財産などのことであなたに助けられた。最近、病で苦しんでいるのを聞き、かつての恩を返そうと思い、ここへ来たのだ」と言いました。

和尚は続けて黄良楷の病を診断し、鍼灸で治せるが、治るのには時間がかかることを伝えました。大いに喜んだ黄良楷は直ちに和尚のために客室を用意させました。

和尚は腰から布の包みを取り出し、それを開くと、中には太さや長さの異なる針灸用の針がきれいに並べられていました。和尚は黄良楷の体の多くのツボを針で刺激し、間もなくして、黄良楷は少し楽になったと感じたのです。

それから何日か経つと、黄良楷も起き上がれるようになり、だんだんと歩けるようになったのです。和尚の治療を受けている中で、黄良は和尚が長年、縁のある人を弟子にしようと考えていることを知りました。

黄良楷には4人の息子がいましたが、末っ子の黄石屏だけ病弱で、幼いころから反応が遅く、よくいじめられていました。本人はいじめられても気にしなかったので、人々に発達障害があるのではないかと思われていたのです。黄良楷も他の3人の頭の良い息子だけに力を入れて育てていました。

そのため、黄良楷は上の3人の息子のことだけを和尚に伝えました。しかし、和尚は「以前聞いた話では4人の息子がいるそうですが、末っ子はどうですか?」と尋ねました。

和尚は恩人なので、黄良楷は素直にすべてを話しました。しかし和尚は末っ子の黄石屏に会いたいと言い出したのです。黄良楷は断りましたが、和尚がしつこく会いたいというので、仕方なく使いの者に黄石屏を呼びに行かせました。

黄石屏が来た時、使いの者に背中を押されてお辞儀をしました。
和尚は黄石屏の体を起こし、じっくりと見つめました。そして、「世の中には人間関係に疎い人はいるが、必ずしも学術に疎いとは限らない。この子もまさにその通りだ。私はこの子を弟子にします」と満面の笑みを浮かべて黄良楷に伝えました。

(つづく)

(翻訳・郡山雨来)

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