父親から見捨てられていた子が鍼灸の術を教わり名医となる(2)

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驚愕した黄良楷は理由を尋ねましたが、和尚は詳しく説明せず、「血眼になって捜し求めていた物や人がひょっこり眼前に現れるとは、まさにこのことです」とだけ言って、大笑いしました。
黄良楷はちょっと不思議に思いましたが、和尚が喜んでいるのを見て、自分もうれしくなり、その場で師弟の儀を行いました。

それ以来、和尚は黄良楷の家に住み着きました。しかし和尚は医術ではなく、簡単な武術や読み書きを黄石屏に教えました。武術においても、読み書きにおいても、黄石屏は優れた才能を見せ、黄家の人はこの時初めて、この末っ子が障害児ではないことを知りました。

その後、黄良楷は退職し、故郷の江西に帰ることになり、家族と一緒に和尚もついてきました。和尚は黄石屏に3年間ほど勉強を教えた後、ようやく医術や鍼灸を教え始めました。

和尚は等身大の人間の人形に人体のツボをすべて赤く記し、黄石屏にを刺したり、抜いたりする練習をさせました。黄石屏は来る日も来る日も練習を繰り返し、柔らかい針を漆喰を塗った壁に差し込んでも、針が曲がったり、折れたりしなくなりました。そこで和尚は「お前は医者として1人前だ」と言いました。

その後、和尚は自分のすべての医術を黄石屏に教え、そして、蓬萊県の千佛寺に戻りました。その10年後、端座(威儀を正し座ること)したままで息を引き取ったのです。

黄石屏の父親、黄良楷も故郷に帰って何年か経った頃に亡くなりました。
黄石屏は性格からして無口で、冷静であるため、複雑な官界はもちろん、家業も継ぎたがりません。そのため、兄弟たちが分家している時、黄石屏に分け与えた財産は非常に少なかったのでした。数年後、彼は生計を立てるため上海に行き、そこで小さな診療所を開きました。

黄石屏には、代々、家族ぐるみで付き合ってきた、張謇という名の親友がいました。彼は政治家で教育家でした。
ある日のこと、張謇は黄石屏のところへ来て、病気で長い間子供がいないことを相談しました。黄石屏はすぐに「この病気は簡単に治療できるぞ。きっとすぐに男の子が生まれるにちがいない」と針を打ちました。そして、その後、張謇は本当に男の子を得たのです。

黄石屏の素晴らしい医術は中国人だけでなく、外国人にまで知られていました。
あるドイツ人女性の腰に、掌ぐらいの大きさのいぼができました。西洋の医者からは手術でないと取り除けないといわれていましたが、その夫人は怖くて中々手術には同意しませんでした。

その後、彼女が知人の紹介で黄石屏に診てもらったところ、たった3回の鍼灸治療で、しかも非常に安い費用で、いぼは完全に消滅したのです。
非常に喜んだ夫人は自分と似たような症状を持つ友人に黄石屏の素晴らしい医術を紹介しました。そしてこの友人も黄石屏に治してもらったのです。

黄石屏は和尚から教わったこの素晴らしい医術が絶えてほしくなく、後世に残すべく、晩年の頃、2人の弟子を受け入れました。
(完)

(翻訳・郡山雨来)
参考文献:平江不肖生『短篇小說集』

泰源