確実に天才とよぶにふさわしい人物ーーオノレ・ド・バルザック

オノレ・ド・バルザック(Honoré de Balzac)は、19世紀のフランスの現実主義の文学作家です。彼の90篇の長編・短編からなる小説群『人間喜劇』は人類の文学史上の奇跡として高く評価されています。

バルザックは1799年に生まれ、『レ・ミゼラブル』で著名なヴィクトル・ユーゴーや、アレクサンドル・デュマの親友でもあります。特に文壇の大物が集まっていたフランスでは、バルザックは飛び切り優れた作家として、後の作家たちの努力目標となりました。

 

オノレ・ド・バルザック (パブリックドメイン)

 

バルザックは1841年から『人間喜劇』を創作し、当初は137篇の小説を書くつもりでした。しかし、残念なことに、91篇目の小説がバルザックの遺作となったのです。

バルザックの『人間喜劇』は具体的には風俗研究・哲学的研究・分析的研究の3つに分類されており、中でも風俗研究の内容が最も豊富で、さらに私生活風景・地方生活風景・パリ生活風景・政治生活風景・軍隊生活風景・田園生活風景の6つに分かれます。著名な『ゴリオ爺さん』や『ウジェニー・グランデ』、『幻滅』はこの風俗研究に分類されています。

『人間喜劇』は当時のフランス社会の各階層をそのまま反映した鏡であるだけでなく、中の人物像は各年代、各社会形式における人類共通の典型的な例でもあるのです。

バルザックは2472人の各年代、各階級における独特の個性を持った人物像を作り上げました。例えば、『ゴリオ爺さん』の中のパリで法律を学ぶ貧しい学生ラスティニャックは、始めはヴォートラン、ゴリオ、ボーセアン子爵夫人たちのいる冷酷残忍なパリの社会に嫌悪感を抱いていたものの、後には、手段を選ばず、上流社会に入り込んで悪人たちに同調するようになりました。ゴリオは2人の娘のためにすべてを費やしたのに、2人の不孝な娘は父親の葬式にも姿を現しませんでした。すべてを目撃したラスティニャックは自分の最後の優しさを葬り、パリに向かって「さあ今度はお前と僕の番だ!」と叫びました。

 

『人間喜劇』「ゴリオ爺さん」(パブリックドメイン)

 

『ゴリオ爺さん』が後世に与えた影響は大きく、「ラスティニャック」も「出世のためならどんな手も使う野心家」を指す代名詞となりました。
人類社会は大きな舞台です。様々な人物が異なる歴史の時期に登場し、波乱万丈で、変転浮沈の一生を演じています。古くから今に至るまで、誰もが役者であり、観客でもあるのです。

1850年8月のある日、未完成の『人間喜劇』を残して、バルザックは人生の舞台の幕を下ろしました。ヴィクトル・ユーゴーなど多くの著名作家が見守る中、バルザックの棺は彼の遺言に従って、ペール・ラシェーズ墓地に埋葬されました。

バルザックの退場はその葬式でユーゴーが述べた哀悼の言葉のように、「今日、バルザックはここに埋葬された。しかし、同時に彼は栄誉の頂点に上り詰めたのだ。今後も我々の頭上で、雲の上で、フランスの星として永遠に輝き続けるであろう……」バルザックの生涯の貢献を振り返れば、この最後の部分を「歴史の中で輝き続けるであろう!」に変えても良いでしょう。

(翻訳編集 天野秀)

文宇