照明で世界15か国に広がる京和傘の職人技 「伝統は革新の連続」

江戸時代後期に創業した京和傘の老舗、日吉屋は和傘を作り続けて160年、現在、海外に15店舗展開している。

バブル景気の時でも不況だった和傘業界

代表取締役社長の西堀 耕太郎さんが日吉屋に入社したのは1990年頃、時期はまだバブルが弾ける前、日本中が異常な景気に浮かれていた時代だった。しかしそんな時期にもかかわらず、京都のほとんどの工房が姿を消すなど、和傘業界は斜陽の一途を辿っていた。

就職した業界が厳しい状況に晒されている中、西堀さんはまず和傘とは何であるかその歴史や成り立ちを考えたという。

 

日吉屋社長の西堀 耕太郎氏。「我々はAppleのiPhoneみたいなものは作れない。しかしAppleも和傘は作れないんじゃないか。それなら、自分にしかできない技術を活かした物作りをしたらよいのではないか」と思い至ったという(写真提供:京都100年企業研究会)

 

すると和傘は千年前、雨を防ぐために使用されていたわけではなく、高い権威の人が魔よけとして使用するような神聖なもので、もともとは開閉もできないものだったのがわかった。

しかしそんな和傘も時代を経るに連れ、職人の創意工夫でだんだん現在の開閉できる傘になり、素材もどんどん変わってきた。

 

どこにもないものを作る

西堀さんは、「従来の和傘だけではやっていけない。今の時代にあった商品を作るべきだ。昔にはない技術や素材を使って何か新しいものができないか」と考えていた。

「我々はAppleのiPhoneみたいなものは作れない。しかしAppleも和傘は作れないんじゃないか。それなら、自分にしかできない技術を活かした物作りをしたらよいのではないか」と思い至ったという。

そこで着目したのは和傘特有の40〜50本もある骨だった。

西堀さんは和傘の骨がもつ意匠性、和紙を電灯に透かしたときの美しさ、そして折りたたみのしくみといった和傘の製作技術、魅力を活かし、新しい照明器具を考案した。

この試みは日吉屋にとって起死回生となった。日本の伝統工芸である和傘は現代の生活シーンに溶け込み、その伝統技術は広く知られるところとなった。

 

少量でもいいから良いものを海外へ

この新商品の販売の見通しは1店舗で月売り2〜3個ぐらいだった。日本だけでは限界があると感じていた西堀さんは海外市場に活路を求めた。インテリアの源流と言えばヨーロッパ、そこで評価を得られれば、日本を含めて世界中に展開できるのではないかと考えたのだ。

大量生産は不可能という現実的に限られた条件の中、少量でもいいから高い付加価値の商品を絞り込んだターゲットに対して販売する戦略を立てた。2005年からは海外事業を始め、現在15か国に展開している。

 

大量生産は不可能という現実的に限られた条件の中、少量でもいいから高い付加価値の商品を絞り込んだターゲットに対して販売する戦略を立てた。2005年からは海外事業を始め、現在15か国に展開している。(写真提供:京都100年企業研究会)

 

「伝統は革新の連続」

和傘づくりという伝統工芸の技術を活かし、海外向け商品開発で成功した西堀さんには一つの座右の銘がある。それは「伝統は革新の連続」という言葉だ。

どんな物でも最初、目の前に現れた時は皆、革新的なもの。そしていかなる革新的なものも、時間が経つに連れ認知され「一般化」される。

伝統はただ受け継いでいくだけではなく、時代に合わせてイノベーション(新しい創造)させていく、それこそが伝統を守り受け継いでいくという事なのだと西堀さんは語っている。

失われた40年に向かい始めた日本経済復興の鍵は、伝統文化を継承した中小企業のイノベーションなのかもしれない。

 

出典:京都100年企業研究会

大道修
社会からライフ記事まで幅広く扱っています。