進化論―ひとつの誤った信仰(2)

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(続き)

二、進化論の三大証拠の破滅

進化論は主に経験的証拠・比較解剖学、古生物学、胚胎発育再演律の三つを有しています。しかし、近年の研究によって、その証拠は次々と崩れてしまったのです。

まず、比較解剖学が進化論の論理的錯誤を暴露しました

深く追求すると、進化論の証拠は証拠になりません。比較解剖学を用いて進化論を論証することは、喩えて言うならば、「もし、人間がサルから進化してきたとすれば、人間はサルと近似した特徴が多いはずだ。人間はサルと多くの類似点があるので、人間はサルから進化してきたのだ」となります。

この理論の展開はまったく意味をなさず、ここで用いた循環論証が進化論を貫いています。理論的な証拠が論理に反する場合、科学上成立しないはずですが、人々が互いに盲従して進化論を受け入れ、進化論の論理的錯誤を追究しませんでした。

次に、胚胎発育再演律は、論理の上に立脚せず、観察の錯誤であるとしか言えません

19世紀、ドイツのヘーゲルが再演律学説を提出し、高等生物の胚胎発育過程に種の進化過程が再び現れると論じました。胚胎発育再演律は、実は一種の仮説であるにもかかわらず、進化論の重要な証拠となっています。「進化というものがもし存在すれば、胚発育の『再演現象』は、まさしく進化の過程を反映している。再演現象が存在しているので、進化ということも存在している」というように、この論拠は再び循環論拠の罠に陥っています。

さらに、最も重要なのは、再演現象と進化の間の元々不明な関係を因果関係に強要したことです。実は、再演律は生物学がまだ十分に発展していない時に提出された仮説であるため、遺伝学と分子生物学の発展につれて、特に遺伝子研究が進歩している現在、再演律はすでにその理論的根拠を失っています。もし過去の遺伝子が新たな遺伝子に突然変異したとすれば、どうして過去の特徴を再現するのでしょうか? 

再演律そのものについて、古生物学者ゴールドもその致命的なポイントを指摘しました。これは広く知られた事実です。更に多くの学者が、再演律は、ある観察錯誤であることを証明しました。ドイツの人類胚胎学者ブライホ・シュミットが『人間の生命の始まり』という本の中で、詳細な資料を用いて、人間の胎児は、最初から人間の構造をしていると証明しました。

例えば、以前認識された早期の胎児に現れる魚のような「鰓裂(さいれつ)」は、実は胎児の顔の皺なのです。また、胎児が9mm程度に発育した際にあらわれる、身体の下部に突き出たものは、以前は尻尾と認識されていましたが、実は中が空洞である神経管です。発育の速いこの神経管は、抵抗力の少ない方向に生長するため、一時的に末端の方に突き出ますが、しばらくすると、またなだらかに戻ります。この神経管は重要な役割を果たし、残存器官ではありません。
身体に毛の覆いがあったり、尻尾のある子どもなどの奇形病に対して、進化論は人類祖先の特徴と見なしています。このことから推論すれば、大脳のない奇形病は更に多いため、我々の祖先は大脳がないと結論づけていいのでしょうか? 進化論の思想の枠を飛び出してみれば、所謂「先祖返り現象」は、ただの奇形や欠陥に過ぎず、遺伝子の異変を反映しているだけなのです。無理やり我々の祖先と結びつけるのは、とても理にかなわないことです。

最後に、古生物学上、進化論の確実な証拠となる進化中の移行タイプは、未だに発見されていません。

もし進化という現象が存在するなら、進化の過程途中の種と種の間の移行タイプが必ず存在するはずです。そうでなければ、進化論は一種の誤った議論と言えます。それ故、理論上、移行タイプ種の化石の発見が進化論の重大な証拠の一つになるはずです。

しかし、実際この面での確実な証拠は、存在していません。当時、ダーウィンなどの進化論者は、20世紀になると明確な証拠が探し出せるだろうと推測した上で、進化論を産み出しました。つまり、曖昧な推測を証拠としたのです。実際、今までに出土した数え切れないほどの多くの化石の中に、推敲と鑑定に耐えうる証拠は一つもないのです。

(つづく)