聖ジョージの竜退治の伝説(2)

(続き)

過去に、臆病な王が竜を容認した結果、全ての家庭の子供が犠牲になってしまい、民族全体が滅亡してしまいました。今、同じ運命が王にも訪れました。絶望した王は仕方なく自分の王女を城門の外へ送り出しました。

そこに、たまたま通りかかったジョージが、泣いている王女を見つけ、足を止めました。王女は「善良な若者よ、ここから馬に乗って逃げなさい。さもないと、あなたも私のように死ぬことになりますよ」と、ジョージに警告しました。

ジョージはそれを聞いて、王女を安心させ、「なぜここに立っているのか」と尋ねました。王女は竜が生贄を要求していることを伝え、「善良な騎士よ、早く逃げてください。もうすぐ竜がやってくるから、犠牲になるのは私だけで十分です。早く逃げないと、私たちは2人共死んでしまいます」とジョージに再度促しました。

その話が終るやいなや、悪竜の長い頭が湖面から突き出てきました。それを見て王女は「逃げて!善良な騎士よ、走れ!」とジョージに向かって叫びました。

ジョージは馬から飛び降り、槍を持って竜の前に立ちはだかりました。神への信仰心から恐怖心はなく、王女を守るためにジョージは悪竜と戦いました。 激戦の末、ジョージは悪竜を圧し、ベルトで縛り、街に連れて行くと、悲しみや怒りに満ちた人々が、悪竜を根絶しようと急いで集まって来ていました。
ジョージはこの悪竜を退治し、王女を救い、その国家全体を救ったのです。

ジョージの悪に立ち向かう勇気は、街の人々に感銘を与えました。彼が自分の信仰の素晴らしさを人々に説いたとき、信仰がもたらす強さ、信仰の生命に対する守護が証明されました。ローマ帝国がキリスト教徒を迫害するにもかかわらず、街の人々はイエス・キリストを賛美し、神様への畏敬の念を新たに抱くようになりました。

王は、ジョージが救ってくれたことに感謝し、大量の財宝を贈りました。ジョージは王といくつかの協定を結びましたが、そのうちのひとつは、神様への信仰を取り戻すことでした。贈り物については、ジョージは何も受け取らず、すべて貧しい人々に分け与えました。

ジョージの竜退治の伝説には、さまざまなバージョンがありますが、主題やストーリーはほとんど同じです。あるバージョンによれば、悪竜が根絶された後、竜の血が十字架の形に流れたとされています。これに触発されて、ジョージは白地に赤の十字架を国旗にデザインしました。十字軍遠征の時代、イギリスの騎士は聖ジョージの姿を力と勇気の象徴として用いました。1190年、イギリス王リチャード1世(獅子心王)率いる第3回十字軍遠征は、アコンで大勝利を収めました。奇しくも、聖ジョージが竜を退治した場所もこの近くにあります。そのため、聖ジョージはイギリスの守護神とされています。

1222年、英国オックスフォード議会は4月23日を「聖ジョージの日」と宣言し、国王のエドワード3世は「St George for England」の言葉を勝ち鬨(とき)として採用しました。1277年、イギリス人は白地に赤の十字架を描いた「聖ジョージの旗」をイギリス国旗として使いました。また、イギリスやその植民地で発行された初期のコインには、「聖ジョージの竜退治」の図柄もよく用いられています。

ルネサンス期、多くの芸術家が聖ジョージの物語を題材にして、たくさんの絵画、壁画、彫刻を創作しました。例えば、ラファエロ、ルーベンス、ギュスターヴ・モロー、ベネチアの画家カルパッチョなど、いずれも聖ジョージの竜退治を題材として絵画を作成したことがあります。また、ヨーロッパには、聖ジョージの名前を冠した教会や修道院も数多く存在しています。

聖ジョージの伝説がロシアに伝わった後、1769年11月26日、ロシア皇帝エカテリーナ大帝により、聖ジョージ勲章が創設されました。勲章には4つの階級があり、そのうち第1級と第2級には星印が付けられ、さらに「奉仕と勇気」の文言が記載されています。旧ソビエト連邦崩壊後の1993年、ロシアのエリツィン大統領は、聖ジョージの竜退治の紋章をロシアの国章に保留させるとの法令に署名しました。

(完)

参考文献:《Золотая легенда》p.344—p.346

章閣