西方極樂世界遊記(下)【未解決ミステリー】

九品蓮花

極楽浄土へとやってきた寬淨法師は、観音菩薩様に案内されて、九品蓮花、すなわち各段階の人々(衆生)が置かれている生活環境を見に行きました。この九品の数え方は大きく分けて、上品蓮花・中品蓮花・下品蓮花があり、更にそれぞれの品が、上・中・下の3つの等級に分かれ、合わせて9品となります。

 

下品蓮花-カルマ(業)を背負って往生

完璧な清らかさで修行したわけではなく、輪廻の基になる業が残りながらも、ある特別な状況下で阿弥陀如来様によって許されて極楽世界に迎えられた人たち、すなわち、多少の業を持ちながらも極楽に生まれることができた人々が住んでいるのが、この「下品蓮花」の蓮池です。

観音菩薩様によると、ここでは人は蓮の化身で血肉はなく、体はすべて白い水晶で、ガラスのように透明ですから、男性になろうが女性になろうが、どちらも同じようなものなのですが、人の形をしているといいます。

ここでは、毎日6時になると、大菩薩様を中心としたお経の会があります。それを除けば、自由時間で、夜はまた蓮の花の中に帰ってきて休息し、夜の間は、蓮の花の中で眠ります。

ここの蓮は、我々の世界の蓮とはまったくの別物です。約400メートルから1200メートルほどの大きさで、3、4階建ての高さがあり、光を放っています。

ここには、十界を映し出す「浄観塔」という塔があります。たとえば、極楽から地球を見ようと思えば、砂粒ほどの大きさしかありませんし、太陽も同じように砂粒ほどの大きさしかありません。しかし、この塔によって、地球をはっきり見ようと思えば、その思考に従って拡大され、地球上にある部屋も、その内部も、調度品も、すべてはっきり見えるようになるのです。

下品蓮花の時点で、すでにこれ程までに神秘的で美しいのです。ではその上の中品蓮花はどうなってしまうのでしょうか?

 

中品蓮花-凡聖共存(凡夫と聖者が共存する世界)

中品蓮花池の蓮の花は、約3キロ前後もの大きさで咲き、さらに荘厳で美しいものです。

ここの人々は同じような服装をしており、年齢は20歳前後といった具合です。

この時、突如、虚空より鐘の音が鳴り響き、菩薩様の講経が始まります。《法華経》が説かれるというので、寬淨法師も聞くことにしました。

聞いているうちに、寬淨法師は、ここで語られる妙法蓮華経は、人間界のものと違うことに気づきました。

観音菩薩様によると、地上の妙法蓮華経は、経文が比較的浅く、ここの経典は比較的奥深くなっており、その深さに差はあるけれども、その意義においては違いはないとのことです。

中品蓮花を見た後、寬淨法師はいよいよ、上品蓮花にいざなわれました。

 

上品蓮花——花開見佛  

上品上等に往生した衆生は、現世で、修練を積んで精進した人で、彼らは自分が修める法門の指示に基づいて着実に実践し、身をもって力行し、勇猛に精進して十年一日の如しだった人々です。彼らはほとんど妄想を持たず、中には菩薩の境地に達し、自由自在に変身できる人もいます。上品蓮池の中で、一番小さい蓮の花でもマレーシアの3個分の大きさがあります。

上品蓮池の周りには、何重もの欄干があり、色とりどりの光を放ち、蓮の花からは様々な香りが漂っています。

池の中には大きな宝塔があり、形は高い山のようで、塔は多角形をしていて、無数の色とりどりの光を放っています。池の中には美しい橋があり、池の面積は端から端まで見えないほど広く、蓮の花が咲いているだけでなく、万象の風景が配されていました。蓮の花は数えきれないほどの層があり、各層の中には宝塔、亭、楼閣があって、美しくて心の震えが止まらないほどです。蓮の花の上に住んでいる人は、全身が金色で透き通っていて、服が様々な光の色を放ち、その華やかさを表す言葉がありません。

上品蓮花のところには阿弥陀仏大塔「蓮花塔」があり、それはとても高く壮観で、幾重にも数えきれないほど階層があり、何本かの角があり、塔の全体は透明で、万丈の金色を放っています。

「蓮花塔」は、上品中生のおびただしい往生者があそびに行くためのもので、ここにいるすべての衆生は「壁」を通り抜けることができ、妨げられることなく自由に出入りができます。上にも下にも、考えてみるだけで、一瞬にして目的の場所にたどり着くことができるのです。

いつまでもこの場所に留まりたいものですが、修行がそのレベルに達していないため、長くは居られません。帰る時がついにやってきました。

阿弥陀仏に何度も感謝した寛浄法師は、蓮の花に乗って下界へ向かいました。

 

人間界に戻る

次の瞬間、目を覚ました寛浄法師は、自分が弥勒洞の石の上に1人で坐っていることに気づきました。

寛浄法師は洞の中で2、3日の間、礼拝を繰り替えして、天界仏国の勝景をもう一度見ようと試みましたが、彼が泣いても騒いでも、何も現われないのです。仕方なく、山を下りていくしかありませんでした。

天国へ旅立った光景はいまだに記憶に新しく、寛浄法師はまるで昨日のことのように感じていましたが、山から降りてきたときに通行人に尋ねると、すでに1974年4月8日、あの日から6年5か月余りが経過していたのです。

寛浄法師は、九品蓮花の中の人々(衆生)は、各々の境地によって、見るものも聞くものも違うと言いました。寛浄法師自身もそうだったのではないでしょうか。彼が見たり聞いたりできるのは、彼自身の境地の中で、神仏菩薩が彼に理解させたいものだけだったはずです。

心境が変われば、見るものと聞くものが違うかもしれません。廬山の本来の姿を知りえないのは、ひとえに彼がこの山の中にいるからに他なりません。

(完)

詳しくはEPOCHTVをご覧ください。
https://www.epochtimes.jp/2023/05/149255.html
 

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