テキサス州出身のジャレッド・ガインズ氏は、父親の愛車であった1967年式の「マリーナブルー」のシボレー・カマロ(アメリカのスポーツカー)を再度購入し、2年の歳月をかけて秘密裏に修復しました。父親のアール・ガインズ氏は41年前、幼い子どもを育てるためにこの愛車を手放しました。
65歳の誕生日に息子がこのサプライズを明かしたとき、アール氏は喜びにあふれました。
「人生で最も素晴らしい瞬間の一つでした」とジャレッド氏はこのサプライズについてFacebookに投稿し、その投稿は瞬く間に拡散されました。

(写真提供:ジャレッド・ガインズ)

子どもの頃からの夢
10代の頃、父が愛車を売ってまで家族を支えた話を聞いて以来、ジャレッド氏はいつか父に車を返したいと夢見てきました。13歳になるまで、父がかつてマッスルカー(アメリカ製の高出力な車)を所有していたことを知りませんでした。
「でも自分が理解できる年齢になった頃、父が昔持っていた車の話をしてくれたんです」とジャレッド氏は言います。
1967年式のカマロは、特別な深みのある青に白い2本のストライプ、350 V8エンジンを搭載した自動車で、父アール氏のお気に入りの車でした。1983年、若い妻の妊娠がわかったアール氏は、この車を売る決断をしました。
「子どもの頃に聞いた話では、父はオムツ代のためにこの車を売ったらしいんです」とジャレッド氏は語ります。「もちろん冗談だったんですけど、家族を養うために愛車を手放してでも優先すべきことを優先したということです」


ジャレッド氏は30年前から、この車についての情報——ホイール、色、その他細かな仕様——を集め始めました。そして2022年10月、1年にわたる探しの末に、完璧なカマロがついに見つかりました。
「2021年はビジネスが順調だったのです」、「だから父にあの車を返す夢を実現しようと決めました。」とジャレッド氏は言います。

マリーナブルーのカマロを探して
元の通りの車を探すのは不可能でした——父のカマロは領収書も車両識別番号(VIN)も、何の書類も残っていませんでした。覚悟を決めたジャレッド氏は、あらゆる販売情報を探し回り、理想の1台を探し始めました。
「アメリカ中どこにも、元のあの車に合致するものはなかったんです」と彼は言います。
しかし約10か月後、ついにテキサス州の北約70マイルの場所で売り出されていた、白いストライプの1967年式カマロを発見しました。価格は高かったものの、実物を確認し、オーナーと交渉した結果、素晴らしい取引にこぎつけました。
「僕がなぜこの車を欲しいか、という理由が彼らの心を動かしたんです」とジャレッド氏は言います。


「僕がこの車をどうしても手に入れたいという思いに、彼らは心を打たれたんです。……僕が正直にその理由を話したから、彼らも正直になって、実はこの車には多くの不具合があることを教えてくれました。」
「ライトもブレーキも壊れていて、エンジンが止まることもあり、車の下からは液体が漏れていて、危険な状態だったんです。彼らは何度も修理を試みたけれど、うまくいかず、最終的に諦めたんです」
父が安心して運転できるようにするため、ジャレッドはこの2年間「何度も修理、交換、改良」を重ねました。
「父がこの車で事故にあったり、ケガをするようなことは絶対に避けたかったんです。だから本当に、徹底的に安全性を確保したかった。父に車を渡すその瞬間まで、すべてが完璧に動作し、点検済みで、調整も万全であることにこだわりました。本当に2年かかりました」
秘密を守り抜く
このサプライズを父に隠し通すのは大変なことでした。母も、姉も、叔父や叔母、いとこ、父の友人の誰一人として、この計画を知りませんでした。ジャレッドが話したのは、妻と9歳の娘だけでした。
「娘はこれが一番クールなことだって言ってくれました」と彼は話します。
当時5歳だった息子はまだ理解できませんでしたが、「カマロ」という言葉を息子の前で決して使わないよう注意していました。
車が修理工場にないときは、保管庫に隠くしていました。誰にも見られないよう、夜間にだけ運転するほどの徹底ぶりでした。車の電気系統を含むさまざまな問題を解決するため、専門家の元へ長距離運転することも多く、途中でエンジンが止まることも一度や二度ではありませんでした。
「何度もレッカー車を呼びました」とジャレッドは言います。「牽引や移動、試運転のために、相当な費用がかかりました。……道の途中でエンジンが止まっても、父に助けを求めることも、誰にも相談することもできなかったんです。このサプライズは、何があっても秘密にしておきたかったので」
諦めようと思ったことはあるかと聞かれたジャレッドは、即答しました。
「ないです。諦めようと思ったことは一度もありません。父はそれに値する人です。父は本当にそれだけの価値のある人です」

父へのサプライズ
そしてついに、10月20日の父アールの65歳の誕生日の日、家族は地元ロックウォールのレストランで夕食を共にしました。食事の途中でジャレッドはそっと外に出て、保管庫から車を運び出し、レストランの前に停めました。
その後の出来事は、一生忘れられない瞬間となりました。
ジャレット氏の友人でプロのマジシャン、ダイヤモンド・ジム・タイラー氏が、テーブルで驚きのマジックを披露しました。アール氏に2枚のトランプの内、6と7を選ばせ、さらにWikipediaからランダムに選んだ6つの単語と1つの数字も加え、それから外へ案内しました。アールはすぐに目の前のピカピカの車に気づきました。
「父はそれを見てすぐに『うわ、あれは俺の車みたいだ、そっくりだ』と言いました。でも、まさかそれが自分の車だとは思っていなかったんです」とジャレッド氏は語ります。


「人生の中で、1960年代のカマロでこの青いストライプがあるものを見つけるたびに、父は『あれ、俺の車にそっくりだ』と言っていたんです。ずっと探し続けていたんです」
マジシャンはさらに続けます。
「あなたが選んだのは6と7ですね、それで67(年式)です」と説明しました。
「そしてあなたが選んだ6つの単語のうち、それぞれ4番目の文字を取り出してみましょう」と言って、出てきたのが『c-a-m-a-r-o』、つまり『カマロ』だったんです。そして彼は言いました、「あなたは67とカマロを選びました、そしてここには1967年式のカマロがあります」と。
アール氏は「うわあ、なんてすごいマジックだ! 車を出現させたぞ!」と驚いていました。
しかしまだ気づいていない父に、ジャレッド氏はこう言いました。「あれはあなたのカマロだよ、パパ! オムツ代をありがとう!」
すべてを理解したアールは、感激のあまり涙を流しました。
「それには僕も胸が熱くなりました。というのも、父が泣く姿を見たのは、それまでの人生でたった2回しかなかったからです」とジャレッド氏は言います。「……父は、僕が生まれる前から、家族のためなら何でもやる人だったんです。過去40年間の父との思い出を振り返っても、いつも家族のために力を尽くしてくれていたのを覚えています」
「父は一度も、『いつか昔のカマロを探すぞ』『またあんなカマロを作ってみたいな』とか『夢はカマロを取り戻すことだ』なんて言ったことはありません。ただ、『あれは本当にクールな車だった、俺が持っていた中で一番好きな車だった』と言っていただけでした」

ジャレット氏はこう締めくくりました。「これは車だけの話じゃないんです。特別な意味があります。なぜカマロにこだわったかというと、父が僕に語った話を、僕はずっと聞いていたよ、覚えていたよって伝えたかったんです。彼が大切にしていたことを語ってくれた時、僕はちゃんと心にメモを取っていたんです」
一方のアール氏は、愛するカマロで新たな冒険に出るのを楽しみにしています——その一つは、妻との特別なデートです。
「父は言っていました。『彼女(母)を連れて、車の中でハンバーガーを食べたい』って。昔二人でよく行っていたドライブインのハンバーガー屋さんが、今も営業しているから、そこにまた行きたいんだって」とジャレッド氏は語りました。
(翻訳編集 井田千景)
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