<心の琴線> 心をほぐした瞬間

私の兄が訪ねてきた時のことだ。兄は突然、叔父から引き継いだ工場を売却したいと言いだした。ビジネスはとてもうまくいっているのに、なぜ売りたいなんて?私が驚いた顔をすると、兄はため息をついた。「毎日、会社の雑事に追いたてられる生活がいやになった。今は、海外を旅しながら、長年の夢だった随想録を完成させたいんだ」彼はとても疲れているようだった。

 「お兄ちゃんはまだ43歳でしょう。それなのに、もうリタイアしたいなんて・・・。ちょっと早すぎるのじゃない?」と私は冗談を言ったが、兄の望みに反対はしなかった。お金は十分あるし、休息することは悪くないと思ったのだ。

 その後しばらくして、兄はとうとう工場を売り払ったと私に告げた。私はおめでとう、とお祝いの言葉を述べ、兄がいつ海外へ旅立つのかと聞いた。すると、兄は「海外に行くのはやめたよ」と言う。

 「それじゃ、家で随想録を完成させるの?」

 「いや、延期せざるを得なくなっただけさ。僕の友達が会社を立ち上げるから、手伝ってやろうと思ってね」と兄は目を輝かせながら言った。

 「また会社を起こすの?それじゃ、前と同じでしょう。同じワインを別のボトルで飲むようなものよ」と私は兄をからかった。

 「いや、会社が軌道にのるまでだよ。そしたら、きっと海外へ行くから・・・」と兄は頭を掻いた。

 「会社が軌道にのったらと言っているけど、きっとその次は会社の業績が伸びたらとか何とか理由をつけて、なかなか抜け出せないわね」と私は言った。

 「確かに。一度、栄光を手に入れると引退するのは難しいね」と兄は笑った。

 時々、私は思う。人間は、ジレンマに陥りやすいものだ。死ぬほど忙しい時、私たちは一刻も早くその環境から抜け出したいと思う。しかし、時間に余裕ができると、それを大切にすることを知らない。富と栄光は、そんなに簡単には人間を手放さない。俗世間から抜け出そうと思っても、それらが足枷となって、状況はまた振り出しに戻る。しかし、忙しい状況を作っているのは、実は自分のなのだ。

 地位名声も、お金も永遠ではない。それに振り回されているうちに、人生は終わってしまう。しかし、ほっと心をほぐした瞬間、何が自分にとって必要なのかが分かってくるだろう。

明心ネットより)

 

(文・李允中 / 翻訳編集・郭丹丹)