中国漢字、簡略化の弊害

【大紀元日本12月31日】中国漢字の簡略化(【簡体字】化)が始まったのは、中国共産党が政権を握ってからすぐである。二千年の伝統を保っていたそれまでの中国漢字は、多くの人力と資金を浪費して瞬く間に変更された。その背後にはもちろん、学者らによる十分な議論や考察などあるはずもなく、異論を唱える者は「右派」として厳しく批判された。

1950年代以前、高校卒業程度の教育を受けた人は、古代の人が壁や石などに彫った文字や歴史的建造物に残された対句詩(通常、扉の両側に書かれている)などを理解することができた。現在、中国の若者は、それらを理解することができず、古文はおろか、香港や台湾の現代小説を読むのも一苦労である。

古文を読むことは、自国の伝統や文化を理解するのに非常に重要である。多くの図書館には本来の正体字である【繁体字】で書かれた古文が多数存在するが、それらを検索するには簡体字は使えない。従って、全ての図書館では二つの検索機能を備えなければならず、それにかかる余計な労力、コストは図り知れない。

簡体字の利用によって、繁体字を利用する台湾との文化的交流にもひびが入る。大陸の若者が香港や台湾のメディア情報を読むのに苦労する一方、繁体字に慣れ親しんでいる多くの海外の中国人たちは簡体字のニュースを読みたがらない。

中国語、そしてそれを書き表す中国漢字は、長い歴史を有する中華文化の体現である。中国共産党は、樹立した新政権を強固にするには、その悠久の歴史を有する文字を解体して、新しい文字を利用すれば効果があると判断したのであろう。

また、簡体字化運動の裏には、当時の軍隊のリーダーたちの教育レベルが低かったという要因もある。

多くの党員や兵士は文盲であったにもかかわらず、責任ある地位をまかされるという矛盾が生じていた。そのため、簡体字化の政策が早急に推し進められたのである。

簡体字化はほんの数カ月で行われ、その過程では、通常あるべき学者や識者による十分な議論が行われなかった。一般に、どのような改革を行うにも、賛成派と反対派があり、それらが議論することによって適切なチェック・アンド・バランスの機能が働くものである。ところが、中国語の文字改革は、十分な議論や研究もないままに1956年に慌しく施行され、規律のない様々な文字が生まれた。それが中国語文字のシステムを混乱させることになったのである。