【エンタ・ノベル】麻雀の達人(8)-中運-

 【大紀元日本7月12日】巨漢は、震え上がる満福をじっと見つめると何やら懐から一通の書状を取り出した。

 満福が目をやると「…積善余得天地人三才中運…保険」などと何やら得体の知れない長いタイトルの生命保険に加入するよう勧められているようだった。逡巡している満福を見て、亭主の巨漢は腰の青龍刀をすらりと抜いて、「…おまえにもはや選択の余地があろうや?」と問い掛けてきた。「もし、入らなかったら?命を質に入れるのも嫌ですし」と満福が言うと、「即刻、そちの首を刎ねる!!」と凄む。

 「…どうやら本当に選択の余地はないようですな…」と満福が署名すると、巨漢はそれをさも満足そうに目を細めて確認し、その書状を懐に収めると、またのっしのっしと奥のほうへと消えていった。

 満福が気付くと、亭内の真っ赤な照明はなくなり、窓からはきれいな木漏れ日が射して、小鳥たちが「チッチッ」と朝の訪れを告げている。既に、亭内にはどこへ去ったのか、誰一人としていない。「…ああ、久しぶりに徹満をしてしまったようだ…それにしても恐怖の一夜だったなぁ」。

 亭の外に出てみると、既に明るく坂の両側には緑が茂り、坂の下の方には小川も見える。川向こうでは、朝粥でもやっているのか一座が賑やかに炊煙を上げて、こちらを手招きしている。「朝粥か…いいなぁ」、満福が坂を下り、小川に入るとそれは膝下の水深ばかりであったが、その水には温度がなく、気持ちの持ちようで体が浮いたり沈んだりした。

 満福が一座のところまで行き着くと、さっそく朝粥・を勧められて、「…さぁ、怖い思いをしたのでしょう…一杯召し上がって、元のところにお戻り成され…まだ、あんたがここに来るのは少しばかり早いようですよ。亭主様もそのように云っていますし…」などと不思議なことを言われた…。

 ………

 「満福さん!気が付きましたか!もう四時間以上も前後不覚だったのですよ!よかった。心肺停止だったときは、もう駄目かと思いましたけど…当直の先生の的確な心臓マッサージと電気ショックで助かったんですよ」。満福が気付くと、そこは市内の病院のベッドの上であった。傍らで若い看護婦が、何やら「良かった。良かった」と連呼している。

 看護婦の傍らには、何やら三十代半ばの医師だろうか、首から聴診器を提げてニコニコと微笑んでいる。「…宿直医だった関です。いや金さんの生命力には驚きました…よく、あの世から戻ってこられたものだと感心しているのです」と冗談とも思えないことを言っている。「もう容態も安定していますし、午後には帰宅できますよ」。

 満福は午後には退院した。すると、さっそく関帝廟に通りかかったところで、かつての麻雀仲間が声を掛けてきた。「今晩、早速またやろうや。快気祝いに!」「…え!?何を?」、麻雀仲間の男は愕然とした。満福は、麻雀に関する知識と記憶を全く喪失していたからだ。

 「…あ…もう旧暦の5月13日なのか…早いもんだなぁ」。少年のように呆れる。

 満福の前を廟の神輿が無邪気に賑やかに通り過ぎた。

 帰宅した満福は、その夜久方ぶりに雀鬼たちの悪夢に悩まされることもなく熟睡した。その代わりに夢枕に立ったのは、「先祖」と名乗る霊たちの慈愛に満ちたまなざしと例の亭主が微笑む豪放な姿であり、満福は感謝の中で寝ていた。

 (全話:完)