紫禁城と五行思想

【大紀元日本11月30日】万物は五行(五つの要素:金、木、水、火、土)から成り、物事には秩序がある― 一見、複雑に見える物体や現象はすべて「五行」で構成されており、互いに関連しあいながら、目に見えない「法」によって、秩序が保たれていると古代中国人は考えました。

五行思想の特徴として、「相生相剋」があります。つまり、この世を構成する要素同士は互いに影響し合い、相手の要素を強めたり、弱めたりするという考え方です。例えば、「木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ず」というように、相手の要素を補い、生長を助ける場合がある一方、「水は火に勝(剋)ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝つ」というように、相手を押しのけ、弱めてしまう要素もあります。他にも、「生と死」「春夏秋冬」「男と女」「善と悪」などが、相生相剋しながら存在しています。古代中国人にとって、「五行」のルールは、天、地、人を支配しており、それに従って生きることが人の道と考えました。

ユネスコの世界遺産に登録されている北京の紫禁城故宮博物院)は、五行を取り入れた代表的な建築物といえます。金、木、水、火、土はそれぞれ対応する色や季節、方角があり、それらを配慮した造りが紫禁城にみられます。

金 ― 秋、白、西 (涼しさ、終了、夕日が沈む)

木 ― 春、緑、東 (成長、目覚め、朝日が昇る)

水 ― 冬、黒、北 (寒さ、凍土、北国の長い夜)

火 ― 夏、赤、南、(炎、輝き、繁栄、真昼の太陽)

土 ― 真夏、黄、中心 (肥沃、成熟)

古代中国人は、成長、繁栄、肥沃といった要素と対応する色、つまり緑や黄色、赤を好んで宮殿に使いました。明王朝が始まると、紫禁城の東館の屋根は、生命力、成長などを願って緑が使われました。その後、明の嘉靖(1522-1566) 年間になると、屋根は緑から黄色に変わりました。彼らは、黄色を使うことによって、紫禁城が世界の中心であることを示し、最高で絶大なるパワーがあることを表しました。

一方、若き王子の屋敷の屋根は、成長を願って緑が使われ、東に建てられました。また、繁栄、正義、高潔と対応した赤は、柱や壁に使われました。

紫禁城にあった図書館、文淵閣は、黒の屋根に黒の壁が使われました。黒は水と対応し、冬、保存、貯蔵などと対応していました。

黄色は土、または中心を意味します。中心は、最高の権力を表し、全ての方角を見渡すことができます。従って、黄色は皇帝のみに許された色でした。皇帝の宮殿の屋根は黄色で、多くの場所に金箔が塗られていました。

(翻訳編集・田中)