【中国伝統文化】誤りから学ぶ

【大紀元日本1月1日】人間は、どんなに賢くても間違えることがある。古代中国では、「君子」と呼ばれる人であっても、間違いを犯すことがあったが、間違いを犯すかどうかより、その間違いを正し、そこから学ぶことに徳があるとされた。この過程を経て、人間は向上することができるのだ。

孔子は常々、「もし貴方が間違いを犯したとして、それを正そうとしないならば、貴方は本当に間違えたのだ」と言った。間違いを犯すのは人間の常だが、それを認識し、そこから学ぶ努力をすれば、周囲の人たちから尊敬の念を得ることができる。一方、その間違いを一向に正そうとせず、もしくは隠そうとすれば、周りの人の信頼を失うことになるだろう。孔子の弟子の一人である子貢は、「人の間違いや欠点は、日食や月食のように、他人の目には明らかだ。その悪いところが消えた時、人々は驚きとともに、彼を賞賛するだろう」(『論語』子張第十九)と語った。

また、中国歴代の王朝の中でも、善政を敷いたことで名高い唐の太宗は、「私が鏡を眺めると、服装が自分に合っているかどうかが分かる。歴史を鏡に映すと、各王朝の興亡がよく分かる。他人の目を鏡として自分を映すと、自分の欠点と長所が一目瞭然となる」と言った。

他人の目を鏡として自分を映すというのは、つまり他人の言葉や行為を「判断基準」として、自分がよく行っているかどうかを測る、ということだ。例えば、他人から自分の欠点を指摘されたら、素直に受け入れられるだろうか?また、もし他人の行いが素晴らしかった時、自分の足りないところに気づき、彼の境地に少しでも近づくように努力できるだろうか?さらには、他人の欠点を見たとき、優越感にひたるよりも、彼と同じ間違いを犯していないかどうか、自分を振り返って見ることができるだろうか?

南宋の思想家・陸九淵は、「誰かがあなたの間違いや欠点を指摘したら、すぐに正すべきだ。もし自分で間違いに気付いたならば、それを隠そうとしてはいけない。また、それを正す時に、恐れてはいけない」と語った。

孟子は、孔子の弟子の一人である子路を誉めて、次のように言った。「もし誰かが、子路の間違いを指摘すると、子路は喜ぶ」。陸九淵は、それに加えて、「まず、自分の間違いを指摘されることを恐れないことだ。更に、自分の間違いから学ぼうとするとき、他人を騙したり、自分を誤魔化さないことだ。欠点や間違いを正すには、強い意志と、困難に負けない粘り強さが必要なのだ」と言った。

孟子像(ネットより)

(翻訳編集・田中)