英国バイリンガル子育て奮闘記(11)

【大紀元日本11月16日】

就学前(1989~1992年)  初めての日本(下)

ちょうど学生時代の友人が、わたしより3カ月前に出産していたので、日本滞在中に子供同士で遊ばせてもらった。3歳になる手前のおしゃべりなゆり子ちゃん(仮名)がマンションのドアを開けて、ぺちゃくちゃお話。ひとしきりしゃべっても、一言もしゃべらない娘に対して「お話しできないの?」と不思議がっていたが 、娘も日本語で何か言ったようで、とりあえず二人で遊ばせておけば大丈夫と親の方も一安心。

秋の公園巡りに誘ってもらい、 あちこちの遊歩道とかも紹介してもらった。イギリスでも同様だったが、言語面で遅れているので、常に友達のまねをして100%音声や動作を吸収しているようだった。「どうもありがとうございました」のような気の遠くなるような長い表現を、段を飛び跳ねながら何度もゆり子ちゃんが繰り返してくれて、娘も体から音を入れているようだった。イギリスに戻って2、3カ月経ってから、突然、娘の口からゆり子ちゃんのこまっしゃくれた表現が出てくることがあり、こうやって言語は定着するんだと体感した記憶がある。

実家の近くの公園に連れて行った時、お孫さんを連れてきた初対面の方が、「お友達でしょ」と自分の孫に私の娘と一緒に遊ぶように促してくださった。この感覚はイギリスにはないなと感じた。いきなり見知らぬお子さんの前で「お友達」と言っても、相手の親に「何,この人?」と言われるだけだろう。 日本では「入れて」という仲間入りのための儀式的な表現があるという日本の新聞のコラムを、当時、目にした。(現代のハイテク日本ではこのような仲間に入るという意識は過去のものかもしれないが。)対象的にイギリスでは、相手が自分と同じ動きをすることを確かめてから、徐々に一緒に行動するようになるとコラムに書かれていた。実に的を得たコメントだった。

日本の電車に乗った時、座ってしみじみと周りを見回している時があった。みんな黒髪、みんなマミーの言葉の人というのを確認しているかのようだった。このまま住めば日本人の感覚はすぐ身に付くなと感じたが、あっという間に5週間が過ぎ、また長旅のイギリスへの帰途についた。

(続く)