≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(81)

その時、私は溢れ出る涙を抑えることができず、弟に何を言えばいいかわかりませんでした。私は本当に多くの事を弟に聞きたかったし、多くの事を話してあげたかったのに、何も口から出てきませんでした。

 私は、全身痩せ細り、骨と皮ばかりになってしまった弟を懐に抱きました。人がこれほどまでに痩せ細るとは、本当にかわいそうでなりません。

 私は弟の頭を抱き上げましたが、こみ上げる涙が溢れ出て、彼の頭や顔にこぼれ落ちました。弟はそれ以上話をする気力がなくなったようです。目を見開き私を見つめ、何か言いたそうでしたが、何も言い出せませんでした。黒目は少し上へひっくり返り、息も絶え絶えになりました。

 私は急いで彼の背中を擦り、大声で「一」と呼びましたが、何の役にも立ちませんでした。彼は目を閉じて、まるで寝ついたかのようでした。私は、彼の胸に耳を当てて、心臓の鼓動を聞いてみましたが、何も聞こえませんでした。弟はついに持ちこたえていた息を引き取ったのです。

 こうして、日本に帰っておばあさんやお姉さんたちに会うという願望を果たせないまま、弟はこの世を去りました。十五年という短い命と引き換えに、その願いを私に託したのでした。

 彼の養母は入ってくるなり、弟が息を引き取ったのを見て、大声で泣き出しました。泣きながら言いました。「…息子や、全有や、どうして私一人を残して逝ってしまったの。私の運命は何と過酷なのか、あんたさえも逝ってしまうなんて…」

 隣近所の人たちに趙おばさんの泣き叫び声が聞こえたのでしょう。西の院の張小禄おじさんと李興忠おじさんがやってきて、「早く全有に服を着せてあげなさい」と言いました。オンドルのに、弟が中学へ着て行っていた綿入れの黒い制服の上着とズボンがありました。私はそれを着せてあげました。上着の胸には、彼が自分で縫った名札が付いていました。

 隣近所の人たちは、外から、小さな木の板を打ち付けた棺おけを運び込んできました。

 弟の死に顔はとても安らかで、もう涙は流れませんでした。先ほどには悲しくなかったのです。弟が本当に亡くなって、永遠に私から離れていったなんて信じられませんでした。「弟はただ寝付いただけなんだ。驚かせないようにしよう。もうしばらくゆっくり休ませてあげよう」と思い、私はそっと彼に小さな布団をかけてやりました。

 張小禄おじさんと李興忠おじさんは、弟を抱いて、持ってきた小さな棺おけの中に入れました。私は弟の服を整え、中で気持ちよく休めるようにしてあげました。そして、タオルで、さっき黒い水を飲んだ時に口元に付いた跡をきれいに拭き取ってやりました。

 私はこのときやっと我に返ったかのように感じ、弟が可愛く、また可愛そうでなりませんでした。私はいたたまれなくなり涙がこぼれてきました……。

 張小禄おじさんは、大きな縄2本と大きい棒を2本探してきました。そしてさらに人を二人探してきて、4人で一緒に棺おけを担ぎ上げ、外に出て行きました。私もその後についていきました。趙おばさんは纏足で、歩くのが不便だったので、家にいました。

 外はすでに夜が更け、漆黒の闇夜には、風が全くなくとても静かでした。4人は弟の入った小さな棺おけを担いで、沙蘭鎮の東嶺に登って行きました。東嶺に着くと、張小禄おじさんが「ここに置いておこう」と言いました。冬なので地面が凍って掘れないから、春になって地面が溶けてから埋葬しようというのです。

 その時は、紙銭も焼かず、焼香もせず、撒き銭もなく、ただ薄い板を打ち付けて作った小さな棺おけだけでした。しかも、弟は古い黒の綿入れの上着とズボンを身に付けているだけで、シャツさえ着ていなかったのです。

 (続く)