英国バイリンガル子育て奮闘記(30)

【大紀元日本4月12日】

日本の幼稚園(下) (1994年4月)

日本での幼稚園の初日は、春休み中に、働く親が園児を預けられる日で、少人数のちょうどよい「慣らし日」となった。しかし、翌日は、正常にドヤドヤと子供たちがやってきて、娘はびっくりして泣き出してしまったという報告を受けた。

しかし、その後は、行きたがらないこともなく、3週間、毎日元気に通ってくれた。

その年は、暖かい4月で、20度を越える日もあった。英国コーンウォール州の海辺の町では、常に潮風が冷たく、真夏でも20度にはめったに達しない。摂氏20度は、娘にとっては真夏日だ。お迎えの時「今日は、元気がなくて部屋の隅で静かにしていました」という報告を先生から受けたので、「夏バテですから、そのへんで、ごろごろさせといてください」と返事をしたら、先生の方がカルチャーショックを受けていた。

下駄箱、お弁当(手抜きの私は毎日卵サンドイッチをもたせただけだったが)、ピアニカの練習、出席ノートのシール貼り、今月の歌、お誕生日のお友達など、とにかくイギリスの幼稚園とは全く違った環境で、毎日たくさんのことを吸収したようだった。歌に合わせてお遊戯したり、「みんな一緒」の集団行動を育む活動が、日本ではしっかりしているなと感じた。「クソー」とか「コンチクショー」などの言葉もしっかり口にするようになった。娘の言葉遣いの注意はおばあちゃんに任せて、私は自然な日本語が身に付いてきたことを心の中で秘かに嬉しく思っていた。

このまま滞在していたら日本人になるのに、と残念だったが、ある日のお迎えを最後に、園庭のみんなに大きく手を振って、バイバイして別れた。「ダディーが1人で待ってるからね」と言い聞かせ、本人も納得して日本を後にした。

日本ではアニメを存分に見せてしまった。イギリスでビデオとして番組を見せている時は、コマーシャルが間に入っても「イギリスでは買えないよ」で済んでいたが、日本滞在中は、昨日テレビで見たキャラ入りの「ふりかけ」や「魚肉ソーセージ」などが、子供の目線を狙ってスーパーに並んでいる。テレビもスーパーもグルになって私の財布を狙っている、と落ち着かなかった。娘の方も「欲しいの」という言葉が口グセになってしまった。イギリスの田舎で手に入るものが限られている環境に戻って、ぬいぐるみさんと遊べるようになるまで、数日かかった。

(続く)