英国バイリンガル子育て奮闘記(53) 時間割のない学校(1996年頃)

【大紀元日本9月20日】いよいよ三年生になった。もう低学年ではない。これで、時間割のある生活が始まるのだろうと、新しい担任の先生に尋ねたら、「いやあ、その時の気分次第でやりたいものを変えるから」との返答だった。日本の小学校育ちで、一年生の教室の前に、「こくご」「さんすう」などと書かれた大きな時間割で育った私にとって、またもやカルチャーショック。「三年生になっても時間割がないんですか…」と心の中でひとりつぶやいた。英国の田舎の子供たちは永遠に枠組みに入る生活を体験しないのだろうか?

私の聞きかじる所によると、イギリスは、1960年代のビートルズ時代から、枠組み崩しがはじまったようだ。一度、成人学習のクラスで書道を教えたことがあるが、日本の書に関心を寄せて集まって来た生徒は、1960年代以前に教育を受け、世界の地理にも詳しく、教養もあるおばさまたちと、それ以降の教育で育った主流から外れることを美徳とし、東洋の武道などにあこがれながらその日暮らしをしているようなお兄さんたちとの混合だった。どこに照準を合わせたらいいのか戸惑ったのを覚えている。

ただ、両者とも同様に、「お手本通りに文字を書く」という発想が欠如しているのには、驚かされた。この通りに書いてください、といってもキョトンとして、「なんで?」と顔に書いてある。最初の1、2回は朱墨は入れず、一緒に筆を握って線を引き、一人一人をめいっぱい褒めた。3回目からは、気位の高そうなおばさまに対して、「とても素敵なのですが、アドバイスする意味で、赤を少し入れてもいいですか」と、こちらが平身低頭になって許可をとりながら、形を直させてもらった。(この指導方法は成人学校の方針に沿ったものだった。)お手本や朱墨が欠かせない書道の教え方は漢字特有の文化なのだろうか?ある程度の枠組みがなければ、複雑な漢字は覚えられない。わずか5週間のコースだったが、線を引く時の呼吸などにも触れた書道教室に、青い目の異人さんたちは、「全く新しい体験」と口々に語りながら、深く感銘を受けていた様子だった。

私のクラスの話はさておいて、学校から返って来た娘に、「今日何したの?」と尋ねたら、「いろんな動物が学校に来てね、ウサギさんなでてきたの」との返事。うーん。3年生で時間割なしで動物さんなでていていいのだろうか、と都会育ちの私は、当時不安に駆られたのを覚えている。

しかし、長い目でみると、この時期、小手先の技術を詰め込むよりも、情緒が安定している方が器は大きくなるのかもしれない。最近、娘の小学校の時の同級生と一緒に過ごす時間に恵まれたが、「いじめにあったり病気をしたりして苦労したけれど、だから今の私があるの」と胸を張っていた。ウサギさんをなでた日も、当時、苦労を重ねていた彼女にとっては、大切なひとときだったのかもしれない。

(続く)

著者プロフィール:

1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。