【呉校長先生の随筆】ー校長先生の小さな秘書ー

【大紀元日本11月25日】玲ちゃんが入学した当時から、皆が彼女に対して感じたのは、「よく泣く子」だった。しかも、彼女は泣き出すと決まって教室を飛び出し、授業が終わるまで校内をぶらぶらしている。玲ちゃんは「泣く」という形で自分のストレスを解消していたが、この状態は3カ月も続いた。

中学1年生といっても、玲ちゃんが知っている漢字は少ない。しかし、自分の名前だけはきちんと書くことができる。玲ちゃんをしばらく観察してみると、彼女が情緒不安定になったのは人づきあいがうまく出来ないことが原因だと分かった。数日前、「少し太ったんじゃないの?甘い飲み物は控えた方がいいよ」という先生の軽い冗談が、彼女のプライドを傷つけた。「ウワーッ」と大声で泣き出した時は、他の生徒たちもなす術はなかった。玲ちゃんはいつもと同じように泣きながら教室を出て行き、あちこちさまよううちに、私のオフィスにたどり着いた。彼女はのどが渇いたのか、私に水を催促した。

私は彼女を何とかしてあげようと前から策を練っていたが、ちょうどいい所へやって来てくれた。私は「秘書」と書かれたネームプレートを取り出して、自分の秘書になってほしいと彼女に申し込んだ。玲ちゃんはそれをじっと見つめ、首をかしげて「秘書って何?」と質問した。私は真剣な顔で、「秘書とは、言葉と行いが優雅で、いつも笑顔で、校長先生の代わりに来訪者の世話をする非常に重要な仕事です」と説明した。

玲ちゃんは両目をきらきらさせて私の話にじっと耳を傾けた。「普段は書類を運んだり、校長先生が気づいていないことをアドバイスしたり・・・」と、話している途中、玲ちゃんはいきなり「校長先生は朝礼の時に、あまりたくさんのお話をしない方がよいと思います。生徒たちは耐えられません。それから、昨日していたあのネクタイはヤクザみたいですよ」とアドバイスをくれた。また、後ろに回って私のジャケットを指差して、「ジャケットが汚いと、人に良くない印象を与えます」と指摘した。私は、しまった!うるさい秘書だと、心の中で思わず悲鳴を上げた。

翌日、私はわざと玲ちゃんの教室に行った。これは業界用語で「集団補導」といい、先生と生徒たちに玲ちゃんが秘書になったことを知らせるためだった。生徒たちは玲ちゃんに盛大な拍手を送った。「よっ、玲ちゃん秘書」と何人かの男子生徒が彼女をからかった。生徒たちは、学習障害を持ち、すぐに泣いてしまう玲ちゃんが秘書の仕事をこなせるとは信じていなかった。彼女が秘書の仕事を始めてしばらくの間、クラスメイトたちは「校長先生の秘書は、数学の授業の時に寝ていました」「国語の宿題を提出しませんでした」「クラスメイトとけんかをしました」などなど、優雅な秘書ならば決してしてはならないようなことを玲ちゃんがしていたと、私に報告してきたのだ。

しばらく経ち、報告は少なくなったが、私の「苦難の日々」が始まった。私が何分か遅れて学校に来ると、玲ちゃん秘書は「先生たちと生徒たちのよい模範になるように、出勤の時間をきちんと守ってください」と指摘する。また、「先生たちは授業があります。しかし、校長先生には授業はないし、毎日両手を後ろに組んで学校の中を散歩するだけですから」と学校の書類をいち早く閲覧し処理するよう催促された。私は彼女に、散歩しているのではなく巡回しているのだと説明しても、理解してくれない。「オフィスのゴミはちゃんと分類していない、机の上の書類は乱れている、本棚はホコリだらけ、鉢植えに水をあげていない・・・」とマシンガンのように喋りつづけた。

明らかに、彼女は秘書という仕事の中身を誤解していた。思わず不満を漏らしそうになった時、私は何人もの先生から「玲ちゃんが変わった」と言われたことを思い出した。最近の彼女は自信にあふれ、校長室と先生たちの間を行き来して書類の配達をしたり、先生たちのデスクを整理したり、生徒たちの呼び出しをしたり、先生の教材運搬を手伝ったり、お茶を出したりするなど様々な仕事を手伝っているという。先生たちにはきちんと挨拶し、話を聞くなどの人づきあいもうまくいっている。

ある日、教育局の指導官が視察に来た時のことだった。授業を終えて現れた玲ちゃん秘書がお茶やコーヒーで指導官を精一杯もてなしたところ、彼は彼女の努力を褒めちぎった。すると、彼女は胸元に付いたネームプレートを見せながら、「私は校長室の秘書ですから」と誇らしげに話した。

玲ちゃんの嬉しそうな顔を見ていると、なんだか自分も優しくなったような気がした。先ほど彼女を指摘しようと思ったことも、結局言わなかった。自分がもう少し「苦難の日々」を我慢すればよいのだ。

※呉雁門(ウー・イェンメン)
呉氏は2004年8月~2010年8月までの6年間、台湾雲林県口湖中学校の第12代校長を務めた。同校歴任校長の中で、最も長い任期。教育熱心で思いやりのある呉氏と子どもたちとの間に、たくさんの心温まるエピソードが生まれた。

(翻訳編集・大原)