【大紀元日本3月27日】ギターが「世界楽器」である以上に、スペインの著名なギタリストであるタレガ(1852~1909)が作曲した「アルハンブラの思い出」は、世界中で愛されている楽曲の一つであろう。

その曲を聴くだけで目に浮かぶ、あるいは行ったことがなくても想像できる美しい風景が、スペインの至宝・アルハンブラ宮殿である。

スペイン南部アンダルシア州グラナダ、その丘の上に建つイスラム様式の優美な宮殿には世界中から多くの観光客が訪れているが、このアルハンブラ宮殿が今日に残されたことは世界史上の奇跡であると言ってもよい。

8世紀の初めから15世紀末までというから、歴史的に見ても突出した長期間である。イベリア半島では、キリスト教側の「悲願」であるレコンキスタが繰り広げられた。

日本語では「国土回復運動」などとやや一方に偏って訳されるが、要するに、イスラム教徒に奪われた(とヨーロッパ世界では見る)イベリア半島を奪還するため、ローマ・カトリックの名のもとで、イスラム勢力に対する大駆逐運動が行われたのである。当然ながら異教徒に対する宗教的攻撃であるから、かなりの激しさで「浄化」の意味をもっていたはずだ。

その間、イベリア半島における最後のイスラム王朝であったナスル朝(1232~1492)は、14世紀の後半にその最盛期を迎え、グラナダの地にイスラム文化の華を咲かせていた。アルハンブラ宮殿が完成したのも、ほぼその頃である。

決して大きくはない国土でありながら、外交術を駆使し、また対立するキリスト教圏のカスティーリャ王国が黒死病(ペスト)で打撃を受けるなどの幸運にも恵まれて、ナスル朝が260年の命運を保ったこと自体、奇跡的である。

ただ、今日の私たちが喜ぶべき何よりの奇跡は、1492年1月にナスル朝が終焉した時、イスラム文化の精華であるアルハンブラ宮殿が、異教徒の不浄物として破壊されなかったことなのだ。

破壊を免れた理由は、想像するしかない。おそらく、第二の理由として、イスラム教には偶像が存在しないため、攻め込んだキリスト教側からすれば、ムスリムを強制的に改宗させはしたものの、破壊すべき具体的な対象物がなかったことがあるだろう。

では第一の理由は何か。端的に言えば、それが「美しかったから」に違いない。 

(埼玉S)