【ショート・エッセイ】

光源氏と夏のバラ

【大紀元日本7月10日】バラの花は、明治以降に日本に入ってきた西洋の花であると、長らく誤解していた。確かに今日の観賞用のバラの多くは、西洋世界の圧倒的な嗜好のなかで品種改良され、作り出されたものであろう。しかし、棘の多い植物を茨(いばら)と呼ぶ和語もある。ならば日本の古典の風景の一隅にも、バラの花が添えられていてもおかしくはない。

 『源氏物語』賢木(さかき)の巻に、紫式部はさりげなく夏のバラを配置している。この頃、主人公・光源氏の実父である桐壺帝が崩御し、政治の実権は政敵である右大臣家に移っていた。なす術もなく、左大臣家の長男・三位中将(以前の頭中将)と光源氏は、教養ある人々を召して、管弦の遊びや漢詩文の競い合いなどで日々の無聊をなぐさめている。

 その一場面に、「階のもとの薔薇けしきばかり咲きて、春秋の花盛りよりもしめやかにをかしきほどなるに、うちとけ遊びたまふ」とある。

 建物の階段の下に、薔薇(そうび)という漢語を冠したバラの花が、わずかばかり咲いている。それがかえって、春秋の満開の花よりもしっとりと落ち着いた風情を醸し出しており、そのなかで人々はうちくつろぎ、管弦の遊びなどを楽しむのだという。

 言うまでもないことだが、『源氏物語』には無意味に書かれた部分はない。描かれた植物ひとつ取っても同様で、階段の下にひそやかに咲く夏のバラは、春の桜花のように栄華を極める右大臣側と対照的に、いま蚊帳の外に出されている左大臣家と光源氏に喩えたものと見ても、あながち的外れではないだろう。

 しかし、このまま収まる光源氏ではない。今上帝(朱雀帝)に仕える朧月夜(おぼろづきよ)が病気治療のため右大臣邸へ戻っていた時、なんと光源氏は邸内へ忍び込み、朧月夜と契りを結んでしまった。おまけにその密通の現場を右大臣に見つけられてしまったから、さあ大変。

 光源氏は自ら都を離れて須磨へ向かう。その間、都では不幸が続き、朱雀帝は眼病を患って苦しむ。これは亡き桐壺帝の祟りであると恐れた朱雀帝は、弘徽殿大后の反対を押し切って光源氏を都へ呼び戻し、帝位を退く。

 桐壺帝と藤壺の子である冷泉帝(実は光源氏の子)が即位すると、再び左大臣家が隆盛し、光源氏は権勢を極めることになる。

 しかし、やがて二番目の正妻である女三宮が柏木と密通して生まれた薫(かおる)を、我が子として抱かねばならない苦しみに、かつて自らが藤壺と通じた因果応報を思い知る光源氏であった。

 美しいバラには棘があることもまた、古今東西を問わないらしい。

(埼玉S)【ショート・エッセイ】より