【党文化の解体】第7章(6)

【大紀元日本6月5日】

3.天地の神に感謝せず、党に感謝する婚礼の新しい形式

1)正統文化の結婚式

正統文化が重視する四大礼節に、冠礼、婚礼、葬礼、祭礼がある。「冠礼」はつまり成人式で、儒教の礼節に則り、男子は20歳になると冠をかぶる儀式を行ない、社会的な責任を引き受け始めたことを意味する。「葬礼」とは人が逝去した後の喪葬の儀式で、僧侶か道士を招き、死者の魂を弔う。「祭礼」とは先祖もしくは神様を祭る礼節である。中国共産党の政権を奪取後、これらの冠礼、葬礼、祭礼には、「終わりを慎み、遠くを偲ぶ」神様を尊ぶ要素があったため廃止された。

しかし、結婚は何と言っても人生の喜ばしい事で、中国の古人であれ西洋人であれ、婚姻は一生の誓約で、天地と神を礼拝して厳粛に行うことである。

『礼記』に「昏義」という婚姻に関する専門の章があり(「昏」は仮借漢字で、「婚」と同じ意味)、「納采、問名、納吉、納徴、請期、親迎」という「六礼」を定めていた。「納采」とは縁談を持ち込むこと、「聞名」とは吉凶を占うために女性の姓名を尋ねること、「納吉」とは占った良い結果を女性側に教えること、「納徴」とは男性側が女性側に結納品を贈ること、「請期」とは男性側が結婚式の期日を決めてから女性側に同意してもらうこと、「親迎」とは男性側が女性を妻として迎えることを指す。

儒家の認識によると、結婚とは両家の結びつきであり、上には宗廟祭祀の責任を負い、下には後代の養育をし、そのため婚礼とは、恭敬、謹慎、尊重するのが正式な婚礼である。結婚式に新郎新婦はまず天地を礼拝して、天地に婚姻の証明をしてもらう。そして両親を礼拝して、両親の養育の恩に感謝し、また両親にも婚姻の証明をしてもらう。最後に夫婦互いに礼拝し、互いに賓客の如く敬うことを示す。

西洋のキリスト教徒は教会で結婚式を挙げ、神に結婚を承認してもらう。信仰を持たない人でも「これから、順境か逆境か、裕福か貧乏か、健康か疾病かに関わらず、私は永遠にあなたを大切に愛護していく。一生あなたに忠実することを承諾する」と誓う。

2)中共によって捻じ曲げられた婚礼

正統文化における婚礼では、天地と神に対する尊敬も表現され、結婚の喜びも適度に現されて、先祖に対する尊敬、両親に対する孝行、夫婦の間の恩と義などすべて含まれている。

婚礼の細節は一生の中で最も幸せな記憶となるために、中国共産党は結婚式をもその統治を強める手段にさせようとした。中国共産党の介入によって、結婚することも濃い政治色を帯びた。例えば、結婚には「党組織」の批准が必要であり、「階級」の異なる男女の恋愛は警告され批准されない。一方、党幹部は「党組織」により配偶者を指定する特権があるため、このような家庭は共産党に非常に感謝して、共産党に対する忠誠心がいっそう強くなる。婚礼は「新しい形式を取る」と吹聴され、天地と神様に礼拝せず、党を賛歌するよう改められ、党が伝統の神様の位置に取って代わった。

『百年風習の変遷』では、党の政権奪取の中国人の結婚式について提言されている。新郎新婦は伝統的な中国衣装の代わりに「レーニン服」を着て、結婚の証明者も昔の天地と両親から「共産党支部書記」に変わった。結婚式はよく「メーデー」、「十月一日」のような党が定めた祝日が選ばれ、「天地に礼拝する」する代わりに「毛主席の画像に向けてお辞儀をする」ようになった。

文化大革命の時になると、さらに結婚式の冒頭に「毛沢東語録」の一段落、「私たちはみな一つ共通の革命目標のために、全国各地から来た。革命隊列の中のすべての人が関心を持ち合い、愛護し合って、助け合わないといけない」を読みあげることが流行った。結婚のようなプライベートな事が「革命」の高さまで持ち上げられた。一つの細部に注意してほしい、「革命隊列の中の人」こそ「関心を持ち合って、愛護し合って、助け合う」ので、つまり革命の気質は人間性より高いと思われている。また「天地が大きくても、共産党の恩恵に及ばない」、「親の恩恵も毛主席の恩恵の深さに及ばない」、「毛沢東思想は家伝の宝物で、それに反対する者は私たちの敵に当たる」などの歌を歌わなければならず、結婚式のような祝典にも、「階級闘争」を忘れずに毛沢東に忠誠心をアピールしなければならない。

「天地が大きくても」という歌は一九六六年の邢台地震後に伝え出された。婚礼の際に、このような「賛美歌」を歌わせ、党は自分自身を神聖化する。国民が結婚式の幸せを思い出す時、自動的に中国共産党を称賛する歌詞を思い出すのである。

文化大革命が一段落した後の相当長い期間においても、多くの国民、特に地位のある人の婚姻に依然として党組織、党の指導者の介入は避けられないもので、新郎新婦はまた党の関心に感謝をする。現在、中国共産党はもう目で見える形で結婚式に介入していないが、数十年の間隔が空き、正統的な結婚式の礼儀が忘れられて、次第に婚姻の神聖感と責任感も捨てられた。今の多くの結婚式はただ騒いでいるだけで、神聖な感じと伝統礼儀の面影が少しも見えない。現在、中国の多くの家庭で、トラブル、夫婦喧嘩、一夜の情事が頻発しているが、これらは党によって正統的な婚姻観念と結婚式の形式が破壊されたことと無関係ではない。

(続く)