証拠隠滅 なかった事に EV火災現場で露呈した「党文化」

2026/01/04
更新: 2026/01/04

中国で発生した電気自動車(EV)の火災現場において、消防隊員が消火活動をするのに先立ち、車体に付された企業ロゴを剥がす行為に及んだ映像が拡散した。炎が上がる中で行われたこの行動は、通常の消防活動の常識から著しく逸脱しており、多くの人々に強い違和感を与える。

消防の任務は本来、人命救助と延焼防止である。火災原因の究明や企業責任の所在は、鎮火と安全確保の後に行われるべきものであり、ましてや危険な現場で証拠となる情報を消す行為が優先されることは、合理的説明が困難である。この異様な行動は、個々の隊員の資質や判断ミスとして片付けられる問題ではない。

今回もこの現象を理解するため、大紀元の社説「共産党についての九つの論評(九評)」が提示する「党文化」という概念に照らして分析してみたい。

 

「虚言」と「隠蔽」が組み込まれた統治本能

九評は、中国共産党(中共)の統治の本質の一つとして「欺瞞」すなわち虚言と隠蔽を挙げ「虚言は暴力の潤滑剤である」と指摘している。そして欺瞞によって、76年も中国を統治してきた。【第九評】中国共産党の無頼の本性には次のように記されている。

しばしば聞かれる話として、「中共が以前よく嘘をついていたことは知っているが、今度の話は嘘ではない」というのがある。

 

皮肉とも言えるのは、時の流れを遡ってみても、歴史的に見て、中共が何か大きな誤りを犯した時、人々はいつも同じことを語っていた。これこそ中共が数十年にわたり磨き上げて来た、人民を騙す虚言の本領である。

この「欺瞞」は、強権的支配を円滑に維持するためには、真実をそのまま公表するのではなく、都合の悪い情報を操作・遮断することが不可欠であるという統治思想を示すものである。

EV火災という事実そのものは消し去ることができない。しかし、ロゴを剥がすことで「どの企業の車両が燃えたのか」という核心的情報は隠蔽できる。責任の所在が特定されなければ、製品の欠陥や政策的失敗という議論も生じにくくなる。この行動は、過去にSARS流行や重大事故において中共が取ってきた情報封鎖の手法と軌を一にしている。

中共は常に自らを「偉光正」な存在、つまり偉大で(偉)栄光に満ち(光)正しい(正)として演出し、誤りや失敗を認めない。国産EV産業は、技術力と経済成長を象徴する成果として位置付けられており、その象徴に傷が付くことは、単なる企業問題ではなく「党の威信」に関わる事態と認識される。そのため、現場においても反射的に「証拠を消す」行動が選択されている。

 

「党性」が職業倫理に優先する構造

九評はまた、「党性が人間性に取って代わり、人間性を消滅させる」と述べている。党性とは、党の利益と方針を最優先する思考様式であり、個人の倫理観や職業的使命より上位に置かれる。九評では党性は共産党組織の長期にわたる訓練の結果だとされている。【第一評】共産党とは一体何ものかには次のように記されている。

その訓練は幼稚園から始まる。幼児教育において、与えられた模範解答が常識や児童の人間性に合わないとしても、それがいい成績を得るための基準なのである。

 

消防隊員にとって最優先されるべきは人命と安全である。しかし、この現場では、消火よりも先に「悪い情報を遮断する」行為が選ばれた。これは、隊員個人が冷酷であったことを意味しない。むしろ、党の利益を損なう可能性のある情報を即座に処理せよという無言の圧力が、職業倫理を上書きした結果である。

党文化の下では、人々は主体的判断を下す存在ではなく、「党の道具」として振る舞うことを求められる。現場での行動も、上層部や関係企業への忖度、あるいは「問題を拡大させるな」という暗黙の指令に従った機械的反応と見ることができる。
 

経済発展と「執政の合法性」

中共は現在、経済成長を自らの統治の正当性、すなわち「執政の合法性」の根拠としている。国産EVはその象徴的成果であり、失敗や欠陥が可視化されることは、統治の正当性そのものに疑問を投げかけかねない。

九評が指摘する「安定が一切を圧倒する」という統治原理の下では、不都合な真実は社会不安を生む「不安定要素」とみなされ、芽の段階で摘み取られる。ロゴ剥がしという行為は、ネット上での批判拡散や消費者不信を防ぐための、いわば末端レベルで実行された「維穏」活動の一環である。

九評は【第九評】中国共産党の無頼の本性で次のように述べている。

誰が中国最大の不安定要素であるのか。それは専ら暴政を行っている中国共産党にほかならない。動乱を起こしている中共が、「動乱」を逆用して人々を脅しているのであり、これこそ無頼漢のやり方なのである。

命と安全よりも優先されるもの

九評は、中共の本質として「生命の軽視」を挙げている。これは個々人が命を粗末に考えているという意味ではない。制度として、命や安全よりも政治的体裁や統治の維持が優先される構造が存在するという指摘である。

毒入り食品、手抜き工事、大規模事故においても、根本的解決より情報統制が先行してきた歴史がある。EV火災においても同様に、安全性の検証や消費者の知る権利より、「どの企業か分からなくする」ことが優先された。炎が上がる中でロゴを剥がすという光景は、優先順位が完全に逆転した党文化の象徴的表出である。
 

現場にまで浸透した統治ロジック

このEV火災現場での行為は、偶発的な異常行動ではない。「真実を隠し、党とその支配下にある産業の顔を立てることが最優先される」という中共の統治ロジックが、末端の現場にまで深く浸透していることを示している。

九評が指摘する「偽・悪・闘」という党文化は、人々の正常な判断基準を麻痺させ、命や安全よりも政治的利益を選ばせる。この構造を理解せずに、中国で頻発するトラブルを個人の問題や国民性に帰することは、現象の本質を見誤ることになる。

この一件は、中国社会における行動の背後にある統治文化を可視化した事例であり、国外においても同様のトラブルが生じる理由を考える上で、重要な示唆を与えている。もちろん日本も例外ではない。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
現代中国は中国共産党であって、もともとの中国とは全く違うものだ。日本に一番残っていると言われる中国共産党以前の中国の素晴らしさを伝えます。