【党文化の解体】第8章(2)

【大紀元日本8月21日】

1.誰に対しても警戒心を持ち、言葉に闘争意識を帯びる

1)誰に対しても警戒心を持つ

(1)習慣的な警戒心は党文化がもたらした結果

中国人は暦代の政治運動に、自分は他の人に懲らしめられたり、自ら他人を懲らしめたりして、中国共産党の設立から数十年来の歴史は、国民の懲らしめると懲らしめられる闘争史でもある。

中国の民間では、人と人の間の関係は宗族自治によって整えられるが、中国共産党の闘争哲学はこのような平穏な関係を破壊して、経済状況と社会地位によって決められた階級間の対立関係に取って代わった。それから、国民は周囲を敵視し、自分と意見が違う人に暴力手段を使った。党人気質、獣本性と階級本性は人間性に取って代わり、独裁は関心と愛に取って代わり、敵意は友好に取って代わり、警戒心は信頼感に取って代わった。いつでもいわゆる「敵」の「浸透」、「攻撃」と「反撃」に用心するように教育されるため、「敵」を防犯するほか、「敵」に利益を奪われないように警戒心を持つようになった。道徳、神、道義を信じない中で、最大の悪意で相手を推測して警戒して、やっと安全を感じられるようだ。長期にわたったら、このような警戒心理は国民の潜在意識の習慣的な考えになって、社会の常態となる。これは伝統の信仰と道徳は破壊されて、および階級闘争の観念を注ぎ込まれた後の必然的な結果ともいえる。

互いに懲らしめる現実をなせたのは様々なインチキで卑劣な手段である―スパイ、密告、摘発、裏切り、日和見、一線を画す、「大義」のために肉親を密告、夫婦・親子・友人・隣人・教師と学生が互いに密告、盗聴するなど。他人を警戒するのは中国人の生き延びるための本能にもなった。

娘が父親に「あなたとの間に一線を画す!」(イラスト・大紀元)

以上の原因で中国人は強い警戒心を持つようになったとしたら、中国共産党がついたうそはその警戒心を一層強めたともいえる。中国国民は当初、盲目的に中国共産党を信頼して盲従して、結局、中国共産党の様々な言行の不一致、多くの醜い行為、国民に加えた残酷な迫害は、人々の心に傷を残した。毎回騙されて迫害されて、人々は本能的に警戒心を持つようになった。他人を簡単に信頼できず、何かあったら相手に問題があるとまず決め付けて、騙されないように警戒する。

警戒心が習慣になったら、また自ら強化することが起こる。つまり、「信じない」はより多くの警戒心をもたらすのだ。

『列子』に「隣人が斧を盗んだと疑う」というストーリがある。斧を無くした人は、隣人の息子が斧を盗んだと疑って、こっそりその息子を観察する。結局、息子の歩き方でも、話し方でも、表情、動作ともに斧を盗んだように見える。ある日、彼は自分の斧を見つけた。それから再びあの息子を見ると、その表情でも、歩き方でも、話し方でも、斧を盗んだように少しも見えない。

中国共産党は「世の中に良い人がいなくて、誰でも信用できない」という習慣的な考え方を国民に注ぎ込んで、立証するための証拠も見せた。そうすると、私たちはあの斧を無くした人のように、他人をどう見ても信じることができない。党文化は一種の「疑う文化」で、互いの警戒を提唱して、「すべてを疑う」は思考と付き合いの基本思想にされた。マルクスが娘・イエニーの取材を受けた時の回答はまさしく党文化の三昧ともいえる。「幸せに対する理解――闘争、好きな色――赤色、好きな座右の銘――すべてを疑う」。

党文化三昧(イラスト・大紀元)

闘争とうそは警戒心をもたらした表面の原因にすぎない。党文化創立の過程まで掘り下げると、警戒心はどのようになったかがもっと分かってくる。中国共産党は伝統の信仰を壊して、伝統文化を否定して、闘争哲学を注ぎ込んで、マルクス・エンゲルス・レーニン・スターリン・毛沢東を「神のように偉大」と宣伝した。元々あった信仰が破壊され「造神運動」が失敗した後、中国人は何も信用しなくなるほど心に傷ができた。これが中国人が警戒心を持つようになった根本的な原因だ。

(続く)