【党文化の解体】第8章(15)

【大紀元日本11月20日】

5.混同された党と政府、国、民族の概念

1)「一切」である党

(8)国と民族の代弁者と自称する党

愛国の情熱と民族に対する愛着は最も質素的な公民意識だが、中国ではこの種の感情表現も完全に共産党に操られている。具体的に、愛国主義と民族自尊心についての宣伝はほぼ全部共産党の少年先鋒隊、共産主義青年団と党支部によって行われている現状が例に挙げられる。宣伝の時、いつも愛国主義の教育の中に、「共産党を愛すべき」内容が混ぜ込まれる。幼少時からこのような教育を受けていた中国人は、党の手の中で国家と民族の息吹を感じることに慣れているため、無意識の裡に党が国を愛し民族の利益を護っていると考えるようになり、更に深刻なことに国と民族の代弁者と自称するこの政党をいっそう心から愛するようになった。

中国共産党は愛国主義を宣伝する時、一つの専用語彙「愛国進歩人士」を使う。ここの「進歩」は共産党を支持することを指すのだ。言葉の背後の本音は何だろう? つまり共産党を支持する人の愛国心だけが正しくて認められて、党を反対する人たちは国を愛する資格を持たず、あるいは彼らの愛国心は「立ち後れ」たもので、誤ったものであるという。このような宣伝は確かに中国人を困惑させた。愛国心は愛国心で、政治を越えるものだ。中国共産党が使った言葉のトリックはかえって共産党が中国を愛していない事実を暴露した。

「党に反対して、人民に反対する」という言葉もある。関係のない二つのこと一緒にして、長期にわたると、中国人は党に反対することが人民に反することだと錯誤する習慣になってしまった。

(9)最高責任者である党

共産党は長年「党政分離」を唱えるが、しかし党は決して権力を放棄したがらないため、党と行政は一向に分離できておらず、中央から地方まで、各層の党支部書記は永遠にその層の最高責任者を担う。このような上から下までの「最高責任者」構造が存在するため、「共産党、支部書記こそ本当の決定権を握る人」という現実を中国人は仕方なく受け入れた。国民はまた「政府と党」を言わずに「党と政府」の言い方に慣れて、党の幹部(支部書記)がいない時に討論をしても意味がないと分かっている(討論しても最終決定権は党にある)。

(10)中央から地方まで政府を制御している党

共産党はただ各行政部門に一人の書記を派遣するだけでなく、共産党自身が政府部門と並行する自分の一連の機構を中央から末端まで持っている。国に「国家軍事委員会」があるが共産党系統に「中央軍事委員会」があり、国の最高行政機関は「国務院」だが、共産党の最高機関は「中国共産党中央委員会(『党中央』と略」であり、国に「省政府」、「県政府」と「郷政府」があって、共産党も「省の共産党委員会」、「県の委員会」、「郷の委員会」を持っている。国に「警察・検察・裁判所」があって党に「政治法律委員会」があり、国に「ラジオテレビ部」があって党に「中央宣伝部」があり、国に「人事部」があって党に「組織部」があり、国に「監察部」があって党に「紀律検査委員会」がある。党は最高責任者で、党委員会は永遠に政府部門をリードする。こうすると、党がいなくなったら政府部門はまさか運営もできなくなるのでは、と中国人は思うようになった。

政府の官吏はすべて党の系統に任命されて、また圧倒的多数の政府官吏は共産党の党員であるため、官吏の二重身分は党と政府の関係をいっそう複雑に混じり込ませた。正常社会で、納税者の税金は各党派の党員と組織を養うことに使ってはいけないが、中国共産党は政府に取り憑いて、専任か兼職かを問わずどんな党務機関でも、すべて国の税金で養われている。

国の運営はそもそも政府の職責で、しかし共産党は政府に取り憑いて、中央から地方までの各層の政府を制御して、政府部門のいかなる方策をも定めている。マクロ的な視点から言うと、各層の行政部門は党に指導されるので、政府部門は党支部書記の思い通りにしないといけない。ミクロ的な視点から言うと、政府の官吏自身も共産党党員なので、党員の会議に部下は上司に服従するのは鉄則である。だから、組織の通常運営の手段で解決できないことを、党員個人に働くときっと解決方法が見つかる。このように、党は政府を完全に制御して政府を自分の操り人形にし、国民は共産党と政府の区別が分からなくなり、党と政府の概念が混同している。

(11)党の粉飾に利用される好事

スポーツ選手が優勝したら、科学者は衛星を順調に発射したら、農村で良い収穫があったら、オリンピック大会開催権を取得したら、ダムを建設したら……、いずれも中国共産党の功労だと宣伝される。次第に国民もこれは共産党のおかげで取得した成績と信じる。共産党は各種業界で大きな業績を挙げた人たちを騙して入党させ、それらの業績を党のものとしてしまう。中国で起きた一切の好事は党の手柄となり、そのすべてが党の粉飾の材料となる。

「党の良い政策のおかげ」という言い方がある。実は、「改革開放」後、党は農村への束縛を緩めたため農民の暮らしが良くなって、党は個人経営者への束縛を緩めたため、個人経営者が金持ちになった。党がでたらめなことをしなくなったため、中国人の生活が良くなったのだ。その現実から、共産党が働いた悪事、共産党はいかに国民の活力を抑制したかを見分けることができるはずが、しかし共産党は却ってそれを「党の良い政策のおかげ」と称して、中国の民衆も盲目的に共産党に感謝している。

現在の中国における表面的な経済の繁栄は、その大部分が安い労働力、海外からの投資、中国人の勤勉によって支えられているのだが、中国共産党はこれを自らの功労にする。事実は正反対で、中国共産党は目の前の功利を求めて、どれだけの資源を浪費して、環境を破壊して、どれだけの社会問題を作り出したのだろうか。 十億人以上の巨大市場があるために世界的な中国熱が高まったが、党の宣伝ではこの中国熱は自らに対する愛護のようになる。

(12)「一切を代表し、一切を指導する」党

中国共産党は独裁をしているが、「国家」、「民族」と「人民」を口実にすることがとても好きで、「国民全体を代表する」と言い出す。民衆は意見を発表する権利を持たないため、黙って「代表される」しかない。「代表される」ことが習慣化されると、中国共産党は本当の「代表」のようになってしまった。

党はすべてを代表するだけでなく、またすべてを統制する。党は政府、軍隊、国家機関、外交を統制して、党は全国民の衣食住ないし私生活まで統制する。党は癌細胞のように中国社会の隅々まで侵入した。これは正に中華民族の大いなる不幸である。

「党のいかなる組織も党中央に服従すべき」(イラスト・大紀元)

(13)「反共産党」を「反中国」とする党

中国共産党は「反共産党」を「反中国」として宣伝して、国民の判断を困惑させる。

西側先進国の一部は、移住者を受け入れる際、ナチス、テロリズムと共産党を歓迎しないと公言するほど、共産党の暴政は国際社会に非難されている。そのため反共を口にする人がいても不思議ではない。しかし、中国共産党は反共産主義の言論を批判する時、いつも「反中国」のレッテルを貼り、「反中国勢力が我が国を滅ぼす野心は一向に収まらない」とし、反共産主義の戦士を「反中活動のリーダー」と称する。「反共産党」が中国人ならば、更に「売国」、「中国人の顔に泥を塗る」と罵倒し、無意識のうちに「中国共産党」は「中国」、「中国人民」に等しいという意識を国民の頭に植え付けている。

共産党が「一切」になった後、国民は、共産党と政府、国家と民族の関係が本当に分からなくなった。

(続く)