文化創造力を失った中国

【大紀元日本8月12日】中国では近年、様々な「パクリ」が横行し、日本でも話題となっている。米国議会議事堂をそっくりまねた上海市の裁判所の建物、「AKB48」ならぬ「AK98」、上海万博PRソングで岡本真夜「そのままの君でいて」から一部盗作(その後、岡本真夜さんの承認により使用可能となった)など、枚挙にいとまがない。

なぜ、中国ではこれほどまでに「パクリ」が横行しているのか。中国人は創造力に欠けており、生まれつき愚かなのであろうか。それとも、教育が足りないのであろうか。はたまた、教育制度に問題があるのであろうか。

この点に関し、在米の音楽創作家・陳東氏はこう話す。

在米の音楽創作家・陳東氏(新紀元)

「芸術の角度から見て、作品が受け入れられるためにはいくつかの条件がある。まずは、技巧的にレベルが卓越しており、世界のどこへ持って行っても恥ずかしくないレベルに達している必要がある。しかし、技巧だけでは観衆は集まらない。作品が何を表そうとしているかということが問われる。その中に文化的な内包があってはじめて作品が引き立ち、観衆の共鳴を得られる」

では、どうすれば観衆と共鳴しうるのか。「私の体験では、作品は善に向かおうとする人間の本性と相通じてこそ、多くの人に認められ、共感を得られる。そうなれば、精神面でのある種の要求を満たすことができ、観衆に歓迎される」。陳東氏はこう考える。

「しかし、この種の単純な文化と思考の交流に、その他のもの、例えば、政治的宣伝のような人間性の善良な一面と相容れない要素や偽りのものが加えられたら、必然的に観衆と共鳴することはできない」

「現在、人間性の悪の一面に符合する作品が小規模の範囲で熱狂的なファンを集めているが、それらは決して主流社会に入り込んで大衆に認められることはない。大多数の人は正義と道理の道徳観を持っているから」

 芸術作品の文化的な内包

陳東氏は、中国の芸術作品は、技巧の面だけを見れば、とても素晴らしく世界レベルに達しているものが多いが、技巧だけでは全く不十分だと考えている。

「中国の今の芸術作品は、伝統文化の内包が欠けている。中華の伝統文化が持つ包容力、生命に対する尊重、天を敬い天命を知るといった特徴は、今の中国の環境では、すべてを表現するすべがない。中共当局はずっと有神論を攻撃し、異なる政治的見解や意見を許さず、西洋の民主的な自由の価値観を攻撃し、思考をコントロールする弾圧行動を展開することによって、芸術家が選択できる内容は極めて狭い範囲に限定されている」

「そのため、中国で芸術作品を出版発行しようとすれば、党文化の痕跡がなければならず、政治的に利用される可能性もあり、決して清浄ではありえない。特に、文化的な内包のない作品は浮ついて生命力がなく、観衆の心の共鳴を勝ち得るすべはない」

「中国の創作者は、創作に当たって安全が保障されず、衣食住も脅かされる。そのため、常に慎重にならざるを得ず、心の安らぎが得られない。そうなると、インスピレーションも働かなくなる。各種の束縛の下では、思う存分に自己を発揮することができず、思考ものびやかではなくなる。その結果、心の奥からの創作ではありえず、見せかけの作為的なものにならざるを得ない」

 自由を抑圧する教育環境

ずっと中国で教育を受けて育った陳東氏は、中国で文化創造力が失われてしまった理由の一つに、中国の教育制度が大きく影響していると言う。

「共産党は教育を通じて、子供たちに『統一思想』と『党に従う』ことを教え込もうとしている。子供たちは幼い時から、言うことを聞くようにと教育され、学校でも家庭でも異なる考え方は排除される。中国には、個性的な考え方を奨励するような環境はない」

「ただ実際には、人はそれぞれ個性や長所が異なる。しかし、中国の教育体系では、子供たちは自己を十分に発揮するチャンスを与えられず、天真爛漫さと好奇心は圧殺されてしまう。次第に思っていることを言えなくなり、そして言おうともしなくなる。なぜなら、言っても無駄だと感じるようになるから」

「中国の試験制度も、子供たちに模範的な答えで解答するよう求める。自らの頭で考える必要はなく、覚えればいい。特に、文系と芸術系はそうであり、異なる意見は許されない。各科目の試験、特に「政治」では生徒が模範的な答えと相矛盾する答案を出したなら、おそらく零点になり、前途は破滅に向かうことになる。だから、中国の多くの若者は、非常に退廃的で、自分の本当の声を表現するところがなく、常に苦難に満ちた様子なのである」

 西洋は個人を尊重

一方、西洋の民主国家は、人は生来異なるものだと認めていると、陳東氏は話す。

「人は異なる思想を持ち、それぞれの秀でた点も異なるということを尊重している。みんなが個人の異なりを認めることによって初めて社会の繁栄があると考える。そこに暮らす人は自分が異なる意見を持っているということによって傷つけられることを恐れる必要がない。そのため、思考はオープンで、グループのメンバーは互いに啓発しあう。まるで、火花が次々に散るように、知恵が絶え間なく生み出されてくる」

陳東氏は、後にイギリスへ渡り、音楽を学んだ。そこでは、各方面からの圧力がないため、精神上の目に見えない緊張から解放され、視野が広がり、その結果、創作において「晴れやかさ」が自然に現れ出たと言う。

「先生や学校や周りの学生たちはみな、そこで学ぶ個々人のすばらしい才能を正しく認め、誇りに思っている。それによって、創作の熱意がいっそう刺激される」

卒業後、陳東氏はアメリカへ渡って仕事を始めた。オリジナルの音楽『甘い微笑』は第12回グレイト・アメリカン・ソング・コンテスト優秀作品賞を受賞し、第10回インディペンダント・ミュージック・アワードにもノミネートされた。

中国と西洋の教育の違いについて、内情を知る人が次のように紹介している。

米中に国交が結ばれた後、双方がそれぞれ教育視察団を派遣し、帰国後、双方ともに、20年後中国は必ずアメリカを追い越しているだろうと語った。中国代表団がそのように語った理由は、アメリカの学校は乱れていて、子供たちは四則計算さえもできないのに、月に行ったりお金儲けのことばかり考えているからだった。一方、アメリカ代表団がそのように言った理由は、中国の子供たちは規律正しいし、小さい時から算数や科学技術関連の成績が優秀だという点からだった。

ところが、その後20年の間に、アメリカは数十のノーベル賞を受賞し、中国は科学技術の分野ではノーベル賞は一つもない。

パクリから抜けるには

陳東氏は、創造とはある種の知恵だと考える。

「中国人は古くから感情を表に出さないのに対し、西洋人はストレートである。これは内向的と外向的と言ってもいい。ただ、社会が本当に創造を奨励し、人の正常な活動や思考を制限したりコントロールしたりしなければ、内向的であれ外向的であれ、その民族の知恵に違いが出るわけではない。ところが、制限やコントロールが加わると、新しく生まれたものがつぶされ、活気が失われ、創造する能力はどんどん退化していく」

「中国数千年の伝統文化が中国人の心に根付いており、伝統的な道徳は有神論に立脚する。ところが、中共は半世紀以上にわたって無神論と暴力革命を宣揚してきた。それは、善に向かおうとする人間の本性と対立するものであり、反人類的である。中共の文芸団の海外公演は反響がよくない。なぜなら、民族的特色がない上に政治的宣伝の意味合いが込められているからだ」

「音楽においても、異なる心理状態の下では、異なる音楽作品が生まれる。創作者が精神的にリラックスし、余計な政治的思考の束縛がなく、社会全体がその創作を尊重してくれるなら、創作者の心には陽光が満ち溢れるであろう。中国の若者はなぜ、韓国や日本のものを追い求め、西洋の芸術作品を好むのか。そこには確かに、人の内面から溢れ出た真心のこもったものが感じ取れるからだ」

では、どうすれば中国の「パクリ」状態を変えることができるのか。陳東氏はこう考える。

「まず、中国人は過去を振り返り党文化を認めない勇気を持つことが必要だ。中国人は立ち上がり、自分の思考を自ら支配し、党文化に服従しないこと。そうすれば、知恵が再び蘇ってくる。その上で中国伝統文化の根源を探し出せば、道徳観を取り戻すことができる。そうすれば、思考は本来あるべき手順を取り戻し、中国人の創造力は必ずや回復することになる」

 (文・孫芸、翻訳編集・瀬戸)