人類史のなかの神韻(一)

【大紀元日本12月31日】地球の歴史は46億年だという。

その末端に、人類が、微生物のようにくっついている。困ったことに、この微生物は、自分こそが有史以来もっとも優秀であるという、壮大な勘違いをしているのだ。

勘違いの主たる原因は、科学技術の発展であろう。確かにそれは、便利さに代表される生活上の利点をもたらした。ただ同時に、人類を不幸にしたとも言えるのではないか。発展すればするほど無限の谷底へ落下する。その史上最大のパラドックス(逆説)に気づくことができるか否かが、今の私たちに課せられた喫緊の課題なのである。

パラドックスが生じる原因は、往々にして単純である。思考する前提のなかに誤りがあるからだ。善だと思っている発展が悪をまねく。この真理を悟れるかどうかに人類の未来がかかっていると言っても過言ではない。

話を戻す。本稿の趣旨は、神から伝えられ、先人が大切に引き継いできた伝統文化に、もう一度、謙虚に学ぼう、ということに尽きる。

例えば、地球的規模の環境破壊などは、せいぜい最近の50年の間に噴出してきたことだ。それは46億年のなかでは顕微鏡でも目視できないほど微細な時間だが、その最後の一瞬の隙を突かれて、人類は猛毒に侵されたのである。

ならば急いで解毒の処置をしなければならない。とは言っても、医療に頼るのではなく、人間自身がその誤りに気づき、元の正常な状態に生まれ変わる以外にないのだ。

世界のなかで、この中毒症状が最も激しく表れている場所は中国である。

中国の現状は、絶望的なほどひどい。大気汚染に代表される環境破壊はもちろんのこと、腐敗汚職は常態化し、社会の秩序も道徳も破綻。人々は、拝金主義と海外への脱出願望に血眼になっている。共産党への信頼など、とうの昔になくなっているが、ナショナリズムを刺激されれば、ストレス解消とばかり、愛国無罪の名のもと、恐るべき反日暴徒と化す。

このような今の中国を見て、日本人が嫌中感を抱くのも無理はない。中国通を少しばかり自称する人は、こう言う。「中国人は昔から嘘つきで、ずるくて、乱暴な連中なのだ」。その指摘の全てが誤りだとは言わないが、それを中国人のステレオタイプとするのは、あまりに狭い見識ではないか。

米国の外交官だったラルフ・タウンゼントが著書『暗黒大陸 中国の真実』に記した中国人のマイナス面は、確かに中共以前の民国時代に、彼が実見した中国人の一面ではあろう。

ただそれは、同書97年版の序文にある通り、「中国人に好印象を全く抱いていない」タウンゼントが描く中国人像なのである。マイナスの目で見れば、そこだけが誇張されて映る。タウンゼントの中国理解は、部分的には評価できるとしても、それをもって彼を慧眼とするのは、ほめ過ぎというものだ。

実を言うと、中国と中国人を最も正確に理解し、本当に彼らに寄り添うことができるのは日本人なのである。今の中国は、本来の中国ではない。そのことは、中国文化を慈母の恵みとしながら自国の文化を育んできた日本人だからこそ、最もよく認知できる。

中国伝統文化は、人類史以前の先史時代に神から伝えられた最高の宝である。それは、さまざまなかたちで現出され、中国人のみならず、日本人も含めて、広く人類を望ましい方向へ感化してきた。日本はまた、中国文化の保存庫の役割をよく果たしてきたとも言える。

20世紀後半、中共による凶暴な政治が中国伝統文化を破壊した。今の中国の惨状は、その必然的結果である。しかも、中共という汚染源から発せられる毒素は、今も全人類を侵しつつある。

しかし、人類にはまだ希望が残されている。神韻芸術団による世界ツアー公演も、その一つだ。神韻のステージが具現するものは、全て正統な中国伝統文化に基づく最高の理念である。だからこそ神韻は、全世界の観客に衝撃的なほどの感動を与えるのだ。

人類史上における今、神韻が登場した理由は、ここにある。

中共の卑劣な妨害などものともせずに、多くの日本人に神韻を鑑賞していただきたい。そうすれば、正邪の闘いは瞬時にして完結するだろう。(続く)

(牧)