多くの人にとって、この問いは非常に答えの難しいものです。イギリスの政治家ウィンストン・チャーチルがロシアの地政学的野心を「謎の中の謎、さらにその中に包まれた不可解なもの」と表現したように、このテーマも簡単には答えが見つからない問題だと言えるでしょう。
紳士については、少なくとも定義や議論の出発点となるような伝統的な礼儀作法が比較的わかりやすく存在します。例えば公共交通機関では、高齢の女性や妊婦に席を譲ります。カフェでは他の人のためにドアを開けて待ちます。店内では、一緒にいる相手に店内がよく見える席を勧めます。また、友人や初対面の相手にあいさつをするときには立ち上がります。
しかし、女性の場合は事情が異なります。同じような気遣いや礼儀を示しても、「レディらしい」と評価されるより、「親切な人」「礼儀正しい人」と受け止められることのほうが多いのです。実際、現代社会では「ジェントルマン」という言葉に比べ、「レディ」という言葉を耳にする機会はかなり少なくなっています。作家でありファッションデザイナーでもあるマリサ・ペレイラ氏は、「女性が『レディ』と呼ばれるのはどんなとき?」という記事の中で、現代文化では「レディ」という言葉が「否定的なニュアンスを帯びるようになった」と指摘しています。特に「すみません、レディ、番号を間違えていますよ」といったように、女性へぶっきらぼうに呼びかける表現として使われる場合がその例です。
一方で、「騎士道精神(弱い立場の人を守り、礼節を重んじる精神)」や紳士的な振る舞いはもう失われた、とよく言われます。しかし実際には、多くの人が日常生活の中でそうした姿勢を目にしています。では、「レディ」はどうでしょうか。手持ち扇子や日傘(パラソル)と同じように、時代遅れの存在になってしまったのでしょうか。あるいは、現代において「レディである」とは、一体どのような意味を持つのでしょうか。
説得力のある答え
イギリス生まれで、インドや中東で暮らした経験を持つマリサ・ペレイラ氏は、成人後はアメリカ市民として生活しています。
彼女はこう書いています。
「そうは言っても、私は自分のことを『女性』ではなく『レディ』と呼んでもらえないと、正直なところ少し違和感を覚えます」
「レディ」という言葉の適切な定義を探すため、彼女はインターネットを調べました。そして、その世界には「賛否両論があふれている」と表現しています。彼女が見つけた定義には、「礼儀正しく思いやりがあり、適切な振る舞いに高い基準を持つ女性」「洗練され、穏やかな物腰を持つ女性」「ジェントルマンに対応する女性版」といったものがありました。
しかし、こうした説明に満足できなかったペレイラ氏は、自ら次のような定義を示しました。
「レディであるとは、礼儀正しさと慎み深さを持って行動することです。それには強さが必要です。なぜなら、人は本来、自分の低俗な考えや感情、行動をそのまま表に出したいという本能を持っているからです。それに逆らわなければならないのです。そうでなければ、私たちは神秘性を失い、自分のありのままの内面を誰にでもさらけ出してしまいます」
具体例こそ示されていませんが、この言葉によって、私たちの問いに対する答えの輪郭が見え始めます。
ちなみに、ペレイラ氏はこのテーマについて語るだけの特別な経験も持っています。14歳の娘が教会へ着て行くのにふさわしく、それでいておしゃれな服、つまり「レディらしい装い」を見つけられなかったことに不満を感じた彼女は、自ら「ミカエラ・ノエル(Michaela-Noel)」というファッションブランドを立ち上げました。

その場にふさわしい服装を身に着けることは、品位と相手への敬意を表現することにつながります。
具体的に見えてくるもの
ほかの作家やマナー指導者の考えを読むと、ペレイラ氏の定義をさらに具体的に理解することができます。
エチケットコーチで教育者でもあるキャンディス・スミス氏は、「21世紀のレディであるために」という記事の中で、現代の淑女も昔の淑女と同じように、初対面の人への自己紹介の仕方を知っており、パーティーや食事会を上手に取り仕切ることができ、「自分の意見を述べるべきタイミングと、その伝え方」を心得ています。また、その場にふさわしい服装を選び、「誠実さを持って生きる」こと、そして「自分がしてほしいように、他人にも敬意を持って接する」ことができる人だと述べています。
「ミス・マナーズ」の愛称で知られるジュディス・マーティン氏も、著書や記事の中で、淑女を特徴づける最も重要な要素として、自分自身と他者の双方への敬意を挙げています。例えば淑女は、会話が白熱したときでも礼節を保って対応する方法や、相手を傷つけることなく招待を丁寧に断る方法を知っています。また、性別や社会的立場を理由に見下されたときにも、冷静で毅然とした態度で対応することができます。
私はこのテーマについてある友人に意見を尋ねたところ、彼女はすぐに「レディなら下品な言葉は使わない」と答えました。そして例として、元ニュースキャスターで現在はポッドキャスト配信者となった女性を挙げました。その女性は服装も美しく、一見するとレディらしく見えますが、コメントの中で「Fワード(英語圏で最も強い侮辱表現の一つ)」をはじめとする卑俗な言葉を頻繁に口にするのです。
その友人はまた、自分が男性と話すときには、相手が自分は乱暴な言葉遣いを好まないとすぐに感じ取るらしく、会話を続けるうちに自然とそうした言葉を使わなくなるのだと話してくれました。
こうして考えてみると、私たちの最初の問いに対する答えはより明確になります。淑女とは、他者への敬意を持ち、慎み深く礼儀正しく振る舞い、文明的で品位ある行動を大切にする女性であると言えるでしょう。
淑女と紳士
友人のエピソードは、「レディらしさ」が持つ重要でありながら見過ごされがちな効果を教えてくれます。それは、淑女は紳士を育てる存在でもある、ということです。
ここで興味深い共通点が見えてきます。
先ほど挙げたような紳士の表面的な振る舞いだけでなく、より本質的な部分に目を向けると、男性向けに書かれた多くの書籍や記事でも、淑女を定義する基本原則と一致する紳士のあり方が称賛されています。その多くは、まず自分自身と他者への敬意を最も重要な資質として挙げています。そして、淑女と同じように、本当の紳士も日常生活の中で誠実さを実践し、家族や親しい友人以外の人と接するときには節度を保ち、さらにペレイラ氏やスミス氏らが女性に勧めているように、自分の身だしなみや振る舞い、特に人前での立ち居振る舞いに気を配るべきだとされています。
もちろん、いくつか違いもあります。例えば紳士には、必要な場面では女性を守る責任があります。街中で乱暴者に遭遇したときでも、パーティーで誰かに嫌がらせを受けたときでも、勇気を持って女性を守ることが求められます。そして、ペレイラ氏のような淑女は、そのような保護をありがたいものだと考えています。
彼女は次のように述べています。
「私は、自分が『弱い性』だとは思っていません。たとえノミのベンチプレスにも勝てないほど力が弱かったとしてもです。レディであることは、自信や能力、思いやりを失うことではありません。また、私を弱く、無知で、人に踏みつけられるだけの存在や、物のように扱われる存在にすることでもありません」
つまり、いくつかの例外を除けば、現代の淑女と紳士が持つべき本質的な資質は、ほぼ共通していると言えるのです。
美徳は育まれるもの
そして、紳士と同じように、淑女も生まれながらの存在ではなく、育まれるものです。スミス氏やペレイラ氏、多くのマナー講師、そして数え切れないほどの親たちの存在が、そのことを証明しています。
「服装が人をつくる」という古いことわざがあります。しかし、本当に淑女や紳士を育てるのは、言葉による教えと、自らの模範を示すことです。
また、現代の淑女は、かつてのように財産や社会的地位によって決まる存在でもありません。母親、医師、教師、起業家、美容師、バリスタなど、社会のあらゆる立場の女性が、振る舞い、服装、言葉遣い、そして他者への敬意によって淑女と呼ばれるにふさわしい存在となります。学歴や権力、銀行口座の残高が、その資格を決めるわけではありません。
さらに、こうした人格的な資質は、優しさ、謙虚さ、そして知恵といった美徳と深く結びついています。例えば、パジャマ姿でスーパーへ行くのは自分の品位にふさわしくないと考える女性は、単に服装へのこだわりを示しているだけではありません。他の買い物客への敬意も表しているのです。
また、職場で情熱を持って自分の意見を主張しながらも、その態度に品位を失わない女性は、「勇気」と「節制」という古典的な美徳を実践しています。
良いマナーには、礼儀正しい言葉遣いと、相手の話にしっかり耳を傾ける姿勢が含まれます。
淑女と紳士が必要とされる理由
もし現代社会が淑女、そしてもちろん紳士を必要としている時代があるとすれば、それはまさに今です。
思想や政治的対立によって社会は大きく分断され、人々の間には深い溝が生まれています。そして、この文化的な対立をさらに悪化させているのが、礼節やマナーの欠如です。乱暴な言葉遣い、相手を見下すような侮辱、反対意見を持つ人への配慮のなさ、理性より感情を優先する風潮、そして責任を伴わない権利ばかりを主張する姿勢が、その分断を一層深めています。
もし私たちの社会に淑女や紳士がもっと多ければ、その深い溝に橋を架けることもできるかもしれません。互いをもっと尊重し、感情を上手にコントロールし、ソーシャルメディアでも礼節を持って接することができれば、この国が再び癒やされる可能性は十分にあるでしょう。
では、そのような淑女や紳士は、どこにいるのでしょうか。
まず鏡の中の自分自身を見つめることです。そして、子どもがいるなら、その子どもたちに目を向けることです。
最後に、マリサ・ペレイラ氏のこの言葉を心に留めておきたいと思います。
「『女性』や『男性』という言葉は、人間としての性別を表す定義です。しかし、『レディ』や『ジェントルマン』とは、私たちが目指すことのできる理想の姿なのです」
そこにこそ、より良い未来と、より幸せな人生への答えがあるのではないでしょうか。
(翻訳編集 井田千景)
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