東京のある小さな定食屋。

正午12時、会社員たちが次々と店に入ってくる。
喧騒はなく、せっつく者もいない。
誰もが席に着き、まだ料理が運ばれてこないうちに、
まずは両手を合わせ、静かに呟く。
「いただきます」
『私は、謹んでこれを頂戴する』
この食材に感謝し、それを育てた人に感謝し、それを作った人に感謝する。そのすべてが、目の前の一杯のご飯となってここに集まったことに、感謝するのだ。
誰かにそうするよう求められたわけではない。
誰が見ているわけでもない。
ただ、幼い頃からそうしてきた。ずっと、そうしてきたのだ。

食べ終えると、器と箸をそっと整え、
再び両手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
走り回って(馳走して)くださり、ありがとうございました。
この言葉の本来の意味は、食事を用意するためにあちこちを奔走してくれた、すべての人々へ感謝を伝えることにある。

二千年前、中国に一つの文字があった。それは――「仁」。
「仁」の第一歩とは、天下を愛することでも、民を救うことでもない。
頭を垂れ、目の前の一杯のご飯に感謝することだ。
己という存在が、無数の人々の営みと献身によって支えられているのだと知ることである。
手を合わせる、あの一秒の静寂。
それは人と天地の間で交わされる、最も小さく、そして最も深い「礼」にほかならない。
今、この一秒は、日本のあらゆる食卓の上で、確かに生き続けている。

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