百家評論 「地盤が抜かれた後で」シリーズ 第一篇

革命に貧困は必要ない キューバとベネズエラから読み解く急進的変革の真の土壌 

2026/07/12
更新: 2026/07/12

1958年のハバナは、ネオンが街を彩り、カジノは夜通し賑わい、アメリカからの観光客が海辺のバーでモヒートを愉しんでいた。当時のキューバの一人当たり所得はラテンアメリカ全域でも上位に位置し、首都の中産階級は自家用車や家電を備え、将来への確かな希望を抱いていた。 

2019年10月28日:キューバのハバナの通りに停車している、カラフルでヴィンテージなクラシックカー。これらのレトロな車は国の象徴であり、キューバ文化の重要な構成要素となっている(Shutterstock)

しかしそのわずか一年後、カストロがハバナへと入城した。 この事実は、今なお多くの人々を困惑させている。もし急進的な変革が「貧困」の産物であるならば、なぜ当時のキューバで革命が起きたのか。もし中産階級が社会を安定させる重石(おもし)となるのであれば、なぜ彼らはこの変局を押しとどめることができなかったのか。 こうした困惑の根底には、一つの誤った前提がある。私たちは「急進的な政治は、最も貧しい土壌に育つ」と思い込んでいるが、実際には全く別の土壌で育つのである。

1キューバ・ペソ(2016年、キューバの紙幣):フィデル・カストロと、1959年にハバナに進入する反体制派の兵士たち(Shutterstock)

ハバナの繁栄と農村——二つの世界

革命前のキューバが示した経済統計は、紛れもない事実である。1950年代、識字率や医療水準、そして工業化の進展において、キューバはラテンアメリカの先頭集団に位置していた。しかし、それらの数字はあくまで「平均値」であり、一つの大きな断絶を覆い隠していた。 ハバナの繁栄が本物であった一方で、農村部におけるサトウキビ労働者の困窮もまた、過酷な現実であった。そこには季節雇用、少数の地主や米国資本による土地の独占、そして乾季になれば村全体が失業するという状況があった。この「二つの世界」は同じ島に共存しながら、互いに交わることはほとんどなかった。 この格差そのものは、キューバ固有の現象ではなく、不平等の標準的な形態といえる。しかし、富の存在は貧困の救済にはならない。それはただ、貧しさを残酷なまでに浮き彫りにするだけだ。何も持たない者は、自らの欠乏にさえ無自覚でいられる。だが、他者の富を目にした者は、自分に何が欠けているかを嫌というほど認識させられるからである。

社会学者のジェームズ・C・デーヴィス(James Chowning Davies )は、革命史の研究を通じてある洞察を提示した。社会が最も危険な局面に陥るのは、状況が継続的に悪化している時ではなく、「一定期間の改善が進んだ後、突如として急激な逆転(悪化)が訪れた時」であるという。人間は「今現在の生活水準」ではなく、「期待」に沿って生きる生き物である。期待が高まったところで現実が下降すれば、もともと何も期待していなかった場合とは比較にならないほどの激しい憤怒が生まれるのである。

デイヴィスのJカーブ理論(革命のメカニズム)

キューバの中産階級は、単なる傍観者ではなかった。彼らこそが、その憤怒の主要な源泉の一つであった。

 

中産階級の幻滅——過小評価された政治的燃料

フィデル・カストロが政権を握る直前、キューバを支配していたのがバティスタ政権である。

1957年3月13日、ハバナ。反体制派による襲撃の後、勝利を収めた大統領府の警護兵たちに向けて演説するキューバのフルヘンシオ・バティスタ大統領(陸軍大佐)。バティスタは1933年に軍事クーデター(通称「軍曹たちの反乱」)を組織して権力を固め、大統領に就任した(1940〜1944年)。1952年にはプリオ・ソカラス大統領を失脚させて独裁者として君臨したが、1959年のキューバ革命の際、フィデル・カストロ率いるゲリラ運動によって権力の座から追われた
(写真:ACME / AFP)(写真:STF/ACME/AFP via Getty Images)

この旧政権の真の問題は、単なる「貧困」ではなく、民衆を抑圧して富を独占した独裁政治のあり方にあった。1952年のクーデターで権力を掌握したバティスタは憲法を廃止し、政府を一部の特権階級のための利益分配装置へと変貌させた。汚職は例外的な不祥事ではなく、システムの運営方式そのものとなったのである。ハバナのカジノ利権には政府の庇護が必要であり、その庇護には分け前が必要で、その資金の出所は誰もが知るところであった。 農村の労働者にとって、それは自分たちを顧みない「別の政府」に過ぎず、以前の政権と本質的な違いはなかった。しかし、ハバナの中産階級にとって、それは耐え難い「侮辱」であった。教育を受け、法の支配を信じ、公共生活への参加意欲を持つ彼らにとって、暴力と拷問で維持される政権下での暮らしは、自らの尊厳が失われていく感覚をもたらした。 カストロが最初に掲げた旗印は、共産主義ではなかった。「憲法の回復」「腐敗の終焉」「米国への従属からの脱却」——これらの訴えは、農村の労働者以上に、都市の中産知識層の心に深く響いたのである。こうして弁護士、医師、教師、そして学生たちが革命の列に加わった。

1959年1月4日、シエンフエゴス。革命の勝利の際、独裁者フルヘンシオ・バティスタを打倒した直後のキューバの指導者フィデル・カストロ(中央)を捉えた写真
(写真:PRENSA LATINA / AFP)(写真:-/PRENSA LATINA/AFP via Getty Images)

彼らの多くが後に後悔することになるが、それは後の話である。 革命が成功した瞬間に彼らが見たものは、腐敗した政権の終焉であり、その先に待ち受ける「より長く強固な束縛」の始まりではなかった。

 

ベネズエラ——石油の呪いと投票による革命

ベネズエラの事例は、さらに示唆に富んでいる。なぜなら、そこでの変革は武装革命ではなく、正当な「選挙の結果」としてもたらされたからだ。

ベネズエラの大統領候補であり、退役陸軍中佐のウゴ・チャベス・フリアス(中央下、赤いネクタイ)が、妻のマリサベル(中央左下)を伴い、1998年12月6日の選挙への正式な出馬登録を終え、7月24日にカラカスの国家選挙管理委員会で支持者らに手を振っている。世論調査では、チャベスが選挙の最有力候補と目されている。チャベスは1992年、当時のカルロス・アンドレス・ペレス大統領に対するクーデターを率いたが失敗に終わっていた。
(AFP写真 / ベルトラン・パレス)(AFP写真 / ベルトラン・パレス/bp)(写真:BERTRAND PARRES / AFP)(写真:BERTRAND PARRES/AFP via Getty Images)

1998年、ウゴ・チャベスは合法的な投票によって大統領選に勝利した。当時のベネズエラは決して貧困国ではなかった。世界最大の確認埋蔵量を誇る石油資源を有し、数十年にわたる石油収入によって広範な中産階級が形成されていたのである。 

ベネズエラの大統領候補ウゴ・チャベス・フリアスの支持者、推定40万人が1998年12月2日にカラカスに集まり、同候補の選挙戦締めくくりの決起集会に参加した。選挙は12月6日に予定されている
(AFP写真 / ベルトラン・パレス)(写真クレジット:BERTRAND PARRES/AFP via Getty Images)

ではなぜ、かつてクーデターを企て、既存制度の徹底的な「再建」を公言する人物に人々は票を投じたのか。 その答えは1989年に遡る。 その年、政府はIMF(国際通貨基金)の要請に応じ、緊縮政策を実施した。それによってガソリン補助金が削減され、バスの運賃が跳ね上がった。長らく石油補助金に依存していた社会にとって、この衝撃はあまりに唐突で過酷なものであった。首都カラカスで暴動が発生し、出動した軍による鎮圧で、公式発表はないものの数百人から千人以上が命を落としたとされる。この事件は「カラカソ(カラカス大暴動)」として人々の記憶に刻まれている。

 

三つの前提条件

カラカソを経て、数十年にわたり政権を交互に担ってきた二つの主要政党は、国民の目には「もはや信頼に値しない存在」へと変わり果ててしまった。彼らはもはや二つの選択肢ではなく、同じ利益を貪る人間たちの「二つの顔」に過ぎないと見なされたのである。どちらも石油利権を享受しながら、危急の際に行使したのは責任ではなく銃であった。 チャベスは1992年のクーデター失敗直後、テレビを通じてこう語った。「今のところ(por ahora:ポル・アオラ)、我々の目的は達成できなかった」。この「失敗を認め、言い訳をせず、責任を他者に転嫁しない」という言葉が、欺瞞に満ちた政治の世界において、際立って誠実なものとして人々の目に映ったのである。1998年、石油価格の再下落によって経済が悪化した際、人々の手にある一票は、かつて「今のところ失敗した」と語ったその人物へと投じられた。 それは必ずしも社会主義を熱望したからではない。既存の政治家を、誰一人として信じられなくなっていたからである。

キューバとベネズエラの事例を比較すると、急進的な政治変革を招く土壌には、共通する「三つの前提条件」があることが見えてくる。これら三つが揃ったとき、社会は激変へと向かう。

第一に、不平等の可視化

単なる絶対的貧困ではなく、富の分配の不均衡が日常生活の中で露骨に見えること。自分が何を持ち、他者が何を持っているか、そしてその格差がなぜ存在し、なぜ固定化されているのかが誰の目にも明らかになることである。

第二に、政治的正当性の崩壊

統治者が正当性を失うのは、必ずしもその残虐さゆえではない。汚職や腐敗が人々の感覚を麻痺させるほどの水準に達したとき、正当性は失われる。「既存のどの選択肢を選んでも変革は起きない」と人々が確信したとき、急進的な代替案に巨大な市場が生まれる。たとえその内容が曖昧であっても、あるいは推進する人物に過去の失敗があろうとも、それは問われなくなる。

第三に、期待の裏切り

デイヴィスの指摘通り、希望を一度も持ったことがない人よりも、「改善を経験した後に、それが失われるのを見た人」の憤怒こそが最も激しい。石油の富がベネズエラ国民に与えた「享受すべき生活水準」への期待は、経済下降期において強力な政治的燃料へと変貌したのである。

これら三つの条件は、驚くべきことに今日の西側諸国においても同時に進行している。

 

現代の日本と西側社会

日本においても、住宅価格の高騰によって若い世代が持ち家を諦めざるを得ない現実がある。親の世代が同等の賃金で実現できたことが、今や同じ都市で暮らしていても困難になっているのである。非正規雇用の拡大と正規雇用との格差は、不平等を日常的に可視化し続けている。

政治への信頼低下もまた、多くの民主主義国で深刻化している。2008年の金融危機は一つの決定的な転換点であった。巨大な金融機関が公金で救済される一方で、一般市民がそのしわ寄せを担わされたという記憶は、十数年が経過した今も選挙結果に影を落としている。 「期待の格差」は、より静かな形で進行している。高等教育を受け、多額の学費ローンを抱えながらも、自らの学歴に見合う仕事が見つからない若者が抱いているのは、単なる貧困ではない。それは「あるべきだと教えられた生活」と「実際に手にした過酷な生活」との間の、耐え難い「落差」である。 三つの条件はすでに揃いつつある。キューバとベネズエラの歴史が教えるのは、これらが同時に出現したとき、たとえその代償が歴史にどれほど悲劇的に刻まれていようとも、人々は急進的な代替案へと突き動かされるということだ。

 

道徳的失墜はどこから始まるか

キューバとベネズエラの事例には、従来の政治分析では見落とされがちな共通点がもう一つある。それは、急進的変革が爆発する以前に、支配的エリート層の「道徳的失墜」が長期間にわたって続いていたという点である。 バティスタ政権の汚職は、一朝一夕に築かれたものではない。ベネズエラの政党もまた、長年の石油利権にどっぷりと浸かり、『いかに国を統治するか』よりも、『いかに石油の甘い汁(利権)を身内で分け合うか』を最優先する体質に染まりきっていた。こうした腐敗は、社会全体の道徳的基準を狂わせていく。「強者はルールを超越して利益を貪り、ルールとは力なき者を従わせるための道具にすぎない」という冷酷な認識が、社会の底流に広がっていったのである。

一度生じたこの「ずれ」を逆転させるのは極めて困難である。なぜなら、変わってしまったのは特定の規則ではなく、人々の「何が普通か」という判断基準そのものだからだ。社会の腐敗が当たり前になれば、誠実に生きる者は「世間知らず」と見下され、誰もが投資やギャンブルに狂奔すれば、責任感はただの「お荷物」と見なされるようになる。

法律や制度とは、紙に書かれた約束事にすぎない。それを実際に動かすのは、人間の心の中にあるもの――「誠実であり続けようとする意志」や「公共のルールへの敬意」、そして「次世代への責任感」といった倫理観である。これらが失われても、社会の形(システム)は見かけ上、しばらくは維持されるかもしれない。

しかしある日、「古い既得権益をすべてぶち壊し、社会を完全に作り直す」と宣言する過激な指導者が現れたとき、人々は気づくのだ。自分たちには、その暴走を止めるべき「道徳的な根拠」がもう残されていないことに。

これこそが、過激な革命や独裁が生まれる本当の温床である。社会をひっくり返すエネルギーは、たんに「生活が貧しいから」ではなく、社会の「モラル(道徳心)が空っぽになったとき」にこそ、爆発するのだ。

 

次篇予告

キューバとベネズエラの事例は、変革を育む「土壌」について説明した。しかし、土壌には「種」が必要である。 次篇では、以下の問いを掘り下げていく。なぜその「種」は、これほどまでに人々を魅了するのか。十分な歴史的知識を持ち、良質な教育を受けた人々が、なぜ繰り返し失敗が証明されてきた道へと突き進んでしまうのか。ユートピアの約束には、構造上、何らかの抗いがたい魔力が潜んでいるのだろうか。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
AI、宇宙開発、次世代通信などの先端技術トレンドに加え、それらを支える国家戦略や国際政治、資本市場の動き(ガバナンス・地政学リスク)を複合的に分析。