ブルース・リーの死から43年 謎の死を解明(下)

この記事は、ブルース・リーの死から43年 謎の死を解明(上)の続きです。

 

午後11時、救急車はエリザベス病院に到着、救急病室の当直医師・曾広照氏は直ちにブルース・リーに緊急処置を行ったが、依然として心拍も呼吸もなく、その上瞳孔は散大し、対光反射も全くなかった。

救急医療部の鄭宝志医師も、その夜の11時にブルース・リーを診察した時、すでに脈拍も呼吸もなく、理論上ブルース・リーはすでに死亡したことが確認されたが、彼の身分の特殊性を考慮し、アドレナリンを用いて心臓内注射を行った。11時半、全く反応がなく、マイケル医師は正式にブルース・リーの死亡証明書にサインした。

法医学者の葉志鵬氏もブルース・リーの遺体とティンペイの家の検査結果に対してこのように説明した。ブルース・リーの左足指に輸血のために、1カ所切り傷があり、左胸に心臓内注射の応急手当時の針穴が残っていたが、それ以外の場所は、全くの無傷だった。ティンペイの家にも暴力を振るった痕や毒薬などは出てこず、他殺の可能性を否定した。

また、葉医師はブルース・リーが映画撮影中に突然気を失ったことがあり、それが急死の前兆だったのかもしれないと補足説明をした。これらの供述を元に、死因究明の法廷はブルース・リーの死因を不明と暫定的に裁定した。

このような結論に多くの人は納得することができず、引き続き調査が行われた。肝心なのはブルース・リーの検死報告書だった。遺体が解剖された後、肝臓、腎臓、小腸、結腸、血液、胃の中の残留物はすぐに香港現地の検査室に送られ、法医学者の林医師によって検証された。残りはオーストラリアやニュージーランドの検査室に送られた。

 

しかし、最初の検死報告書が出た時、ブルース・リーはすでに埋葬されていた。検死報告書の中で最も注目されたのは、ブルース・リーの体内で発見された微量の麻薬だった。しかし、法医学者の林医師とエリザべス病院の病理医の黎史特医師は共に「これだけの麻薬では、ブルース・リーの急死を誘発する原因にはならない」と述べた。

黎医師はまた、ブルース・リーの頭部には傷跡がなく、脳出血もなく、脳血管の梗塞もなく、体のその他の器官もすべて正常だった。脳部が若干腫れていて、その腫れは恐らく死亡30秒前に起きた可能性が高く、勢いがすさまじかったと指摘した。しかし、腫れによって人が死に至ることはないため、ブルース・リーの死因は鎮痛剤に対するアレルギーと関係があると結論づけた。

この説はロンドン大学の法医学の教授の承認を受けた。教授の話によると、ブルース・リーの死因は急性の脳水腫で、鎮痛剤の中のいくつかの成分に対してアレルギーを起こしたことが原因としている。

もちろん、これは最も合理的な推測に過ぎず、官庁の結論ではなかった。ブルース・リーの死因に関して、これまでさまざまな説があり、彼が病死したと言う人もいれば、突然死だと言う人、誰かに謀殺されたと言う人もおり、意見はさまざまだ。しかし、当時はどのようにしてブルース・リーの死因を判定したのだろうか?

本当の死因は何だろうか? ブルース・リーはあまりにも有名なうえに、死亡の際の不審点も多い。1973年9月24日午前、2カ月ほどの論証の後、香港当局がブルース・リーの死因に関する裁判を行い、香港法廷の董梓光裁判官はブルース・リーの死因に対して考えられる七つの説明を行った。

一、謀殺 死者には殺害された痕跡はなく、この死因は排除する。

二、誤殺 死者には明らかにこのような傷害はなく、排除する。

三、合法的殺害 死者の突然死は根本的にこれと関係なく、考慮する必要はない。

四、自殺 死者には自殺の動機や傾向が見られず、可能性が少ないと考えられる。

五、自然死 検死や化学検査で死に至る疾病が見つからず、排除する。

六、事故または不慮の死 アスピリンを服用してアレルギーを起こした可能性がある。

七、死因不明 もし陪審団が供述、または専門家の意見に異議があるならば、考慮すべき。

董裁判官が述べ終わった後、陪審団は控室に戻り、最終裁決を協議した。陪審団がブルース・リーの死因として出した最終裁決は「不慮の死」だった。

(完)

(翻訳編集・張ミョウ)