ある才女に起きた命の奇跡

中国東北師範大学の教師だった王暉蓮さんは、修士号を取得後、同大の教員になりました。博士課程への進学を計画するなど、将来に夢を膨らませるばかり。誰もが羨む順風満帆な人生を歩んでいた彼女でしたが、ある日、夢はばたりと閉ざされてしまいました。
 

突如の

1997年、博士号の入学試験のため北京に出発しようとした10日ほど前、突然体の変調を感じました。その時、彼女はただの熱だと思ったので、気にも止めなかったのです。

直後、膝が痛み始め、そしてだんだん痛みが足まで広がり、壁伝いに歩くのも困難なほど病は悪化しました。特に、階段を上るのは大変でした。病院へ検査に行ったら、病状が深刻で即入院を言い渡されました。

入院後、「急性リウマチ熱」と診断されました。深刻な病状のため、主治医は彼女にホルモン剤の投与を開始しました。

服薬後、症状が少し緩和し、足の痛みも軽減しました。膝の腫れが徐々に引き始めました。彼女は「博士試験のために北京へ行きたいので、薬だけ処方してもらえませんか」と主治医に尋ねました。「命と学位は、どっちが重要?」という医師の返事に、彼女はやっと病の深刻さに気づいたのです。

 悪夢の毎日

その時、彼女は主治医のアドバイスに従って、1日6錠のホルモン剤を服用していました。主治医は、ホルモン剤の投与で病気が一時的に安定し、体力が回復したら、ホルモン剤を少しずつ減らしていこうと考えていたようです。

しかし、ホルモン剤が6錠から2錠に減らされると、病気が再発してしまい、症状は前より深刻になりました。

彼女は日常生活を自由に過ごすことができなくなりました。自力で食事も着替えもできず、ベッドから立ち上がることもできなくなりました。特にトイレに行くのも介助が必要です。病魔に苛まれた彼女は毎日悲しみに明け暮れていました。

病状を抑えるため、医師はホルモン剤を毎日6錠から8錠に増やしました。ホルモン剤の副作用で、顔が腫れて、「満月のような顔」になりました。顔にニキビが吹き出て、かつて青春を謳歌していた王暉蓮さんの姿はもうどこにもありません。家族からも笑顔がなくなりました。

彼女は主治医の助言に従い、ホルモン剤だけではなく、漢方薬も服用しています。漢方薬は苦いだけでなく、ムカデ、サソリも使われていて、吐き気を催す強烈な臭いを放っています。「毒を以て毒を制す」と主治医が言います。

しかし約半年後、再びホルモン剤を8錠から2錠に減らした時、症状はさらに悪化しました。体はボロボロで、病に打ち勝つという精神力も失いました。彼女は絶望のどん底に突き落とされました。
 

修士号を取得し、将来に夢を膨らませていた王暉蓮さん。(本人提供)


『轉法輪』を読んだ奇跡

 

入院中、友人から法輪大法を勧められました。1997年当時、長春を含む中国で多くの法輪功学習者が修煉していました。彼女は法輪功を知っていましたが、親のような年配の人がやるものだと思っていたので、友人の提案に消極的でした。一方、高等教育を受けた知識人として、彼女は医学と科学が自分の病気を治せると確信していました。

 しかし、入院して1年経っても、病は一向に好転せず、彼女は友人に勧められた法輪功を思い出しました。藁をもすがる思いで、法輪功の著書『轉法輪』を読み始めました。『轉法輪』を読んで、「希望を持てるようになった」と王さんは言いました。「真、善、忍」に基づき、良くない考えや利己的な考えを取り除けば、健康になれると信じるようになりました。

 奇跡が本当に現れました。それ以来、彼女はホルモン剤の増量という医師のアドバイスに従いませんでしたが、数日経っても症状が出ませんでした。その後、彼女は薬の服用を止めました。ニキビは茶褐色に変わり、徐々に小さくなりました。顔の腫れもいつの間にか消えました。最も嬉しいことに、食欲が出てきて、心が穏やかになり、将来に対して、前向きになれたのです。数カ月後、彼女は完全に回復して、「体にのしかかる重い山が突然消えたかのようで、その感動の気持ちは言葉では言い表せない」と王暉蓮さんはのちに述懐しました。
 
 1998年9月、王さんは大学に復職しました。再帰した彼女は、キャンパスが美しいと感じ、生きることのありがたさから周りの人にいつも感謝の気持ちで接するようになりました。

「法輪功を修煉してから、心構えはすっかり変わりました。また損得や将来について気にしなくなりました。真、善、忍の基準に従って行動することだけを考えていました。修煉によって、体は無病の状態に戻りました。“リウマチ性心疾患は生涯完治できない病”と主治医から聞かされていましたが、今は後遺症もありません。逆に20年前よりも元気がみなぎっていると思います。第二の人生を与えられたことに本当に心から感謝しています」

(翻訳編集・李青竹)