ソロン(紀元前539年没)は、古代ギリシャ・アテナイにおける伝説的な政治家であり、調停者、そして立法者である。彼は中庸な富と権力を持つ家庭の生まれであったが、由緒ある気高い家柄の出身であった。若い頃には知識と経験を求めて貿易に従事した。内部対立と極端な貧富の差により破綻寸前であったアテナイ社会を立て直すため、彼は執政官(アーコン)として選出された。彼の最大の功績は、社会にはびこる不正と権力の濫用を止め、市民の自由を守る法律と制度の基盤を構築したことである。
アテナイにはびこる不正と濫用の背景
ソロンが政治の舞台に立った当時、アテナイでは貧富の格差が極限に達しており、国家は極めて危険な状態にあった。民衆は皆、富裕層に対して多額の借金を抱え、収穫の6分の1を支払う小作人(ヘクテモロイ)として働くか、自身の身体を担保にして借金をするかの選択を迫られていた。その結果、自国内で奴隷にされたり、他国へ売られたり、さらには自身の子供を売ることや、過酷な取り立てから逃れるために国を捨てることを余儀なくされる者もいた。このような富裕層による貧困層からの搾取という不正と権力の濫用が蔓延しており、貧困層の多くはこれに対抗して蜂起し、借金奴隷を解放して体制を変えようと結集し始めていた。
経済的アプローチ:債務の破棄(重荷おろし)
この危機に対し、富裕層の傲慢な搾取にも加担せず、貧困層の強欲さにも巻き込まれていない唯一の人物として、ソロンに事態の収拾が託された。彼は権力の濫用につながる僭主(独裁)の座を拒絶し、富裕層の不正な搾取を打破するため、「重荷おろし(セイサクテイア:Seisacthea)」と呼ばれる債務免除の法を定めた。これにより、既存の借金はすべて帳消しにされ、将来にわたって身体を担保にして借金をすることは法律で固く禁じられた。彼はまた、借金のために他国へ売られ母語すら忘れてしまった人々を連れ戻し、恥ずべき奴隷状態にあった人々を解放し、市民の自由を守り抜いた。
政治・法的アプローチ:財産階級と民衆の司法参加
ソロンが改革を行う前のアテナイには、ドラコンという人物が定めた極めて厳格な法律が存在していた。ドラコンの法は、殺人だけでなく、怠惰や「キャベツやリンゴの窃盗」といった些細な罪にすら死刑を科すものであり、後世に「インクではなく血で書かれた」と恐れられるほど過酷なものであった。ソロンはこれらの罰が重すぎるとして、殺人に関する規定を除くドラコンの古い法律をすべて撤廃した。その上で、新たな法を木製の回転柱(アクソネス)に記し、万人が確認できる成文法として整備し直したのである。
政治面では、市民を血筋ではなく財産(年間の収穫量)に基づき、「ペンタコシオメディムノイ」「ヒッパダ・テロウンテス」「ゼウギタイ」「テテス」の4階級に分類した。富裕層には引き続き役職を任せる一方で、最下層のテテスにも民会への参加や陪審員(裁判員)として活動する特権を与え、一般の民衆を国政に参加させた。あえて法律の文面を曖昧にし、あらゆる争いが陪審員のもとに持ち込まれ、執政官の決定に対しても裁判所への上訴が認められたため、市民は実質的な法律の支配者となった。 さらに、不正を抑止する画期的な仕組みとして、「被害者本人でなくとも、能力と意思のある者なら誰でも加害者を告発できる自由」を与えた。弱者が泣き寝入りするしかなかった状況を変え、市民全体が「同じ身体の一部のように」互いの被害に敏感になり、誰もが公共の正義を守る当事者となるよう仕組んだのである。
ソロンの「中庸」の哲学と詩人としての顔
ソロンが不正と濫用を停止できた背景には、彼の確固たる「中庸」と「正義」の精神があった。当時、深刻な対立で破滅の危機にあったアテナイにおいて、ソロンはアポロン神の神託(神からのお告げ)によって「真ん中の席に座り、船を導け」という言葉を授かっていたと言われている。周囲からはすべての問題を解決するために独裁的な権力を握るよう勧められていたが、彼はこの神の言葉が示す通り、富裕層にも貧困層にも偏らない「真ん中の席(中立・中庸の立場)」から国家という船を導くことを決意したのである。
また、彼は自身の政治理念や行動の正当性をエレゲイア(哀歌)などの詩の形で市民に訴えかけた。奪われたサラミス島の奪還を呼びかける際にも、罰則を逃れるために狂気を装って広場に飛び出し、自作の詩を暗唱して市民を奮い立たせている。
彼は自らの改革について詩の中で次のように述べている。「私は民衆に必要十分な権力を与え、彼らの持つものを削りもせず、与えすぎもしなかった。富と権力を持つ者たちも不当な扱いから守った。私は両者の前に力強い盾を構え、どちらも互いの権利を侵害することを許さなかった」。 このように彼は、どちらか一方が不当に勝つことや他者から搾取することを許さなかったが、借金帳消しによって資金を失った富裕層と、完全な土地の再分配が行われなかったことに失望した貧困層の双方から不満を買う結果ともなった。
改革の保護と旅立ち
新しい法律が制定された後、市民が毎日ソロンのもとに押しかけ、法律の解釈や変更を求めるようになった。これに対応することが無意味であり反感を買うだけだと悟った彼は、自らの法律が勝手に変えられず市民に定着することを願い、「10年間の不在」の許可を取って貿易船でアテナイを離れた。そしてエジプトやキプロス、さらにはサルディスのクロイソス王のもとなどを旅したのである。
彼は詩の中で、「悪人が富み、善人が貧しいこともあるが、我々は自らの美徳を彼らの富と交換することはない。美徳は誰にも奪えないが、金は日々持ち主を変えるものだからだ」と語っている。また、「富は欲しいが、不正によって富を得ることは望まない。正義は、たとえ遅くとも確実である」とも述べており、ソロンは個人の利益や党派の要求よりも正義を重んじることで、アテナイを救う強固な礎を築いたのである。
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