貞観政要

創業と守成はどちらが困難か?

中国五千年の長い歴史の中で中国が最も輝きを放った時代のひとつとされる「唐」時代。中でも唐の太宗の治世は「貞観の治」と呼ばれ、後世、政治の理想とされてきた。

稀代の名君と称せられる唐太宗は臣の言をよく容れ、真摯な思索を通してこの理想時代を創造した。『貞観政要』は唐太宗の言行録であり、家臣とのやり取りを通して思索を深めていく唐太宗の思想過程が記録されている。『貞観政要』から日本でも徳川家康をはじめ、多くの為政者が「政治はどうあるべきか」を学び、現代においても多くのリーダーに影響を与え続けている。

創業と守成はどちらが困難か?

貞観10年、太宗は侍臣に尋ねて言った。「帝王の事業で建国の苦難(創業)と、その国を維持していく苦難(守成)はどちらが難しいだろうか」

宰相の房玄齢が答えた。「建国の時は天下は乱れ、群雄は競って起こり、それらを攻め破っては降し、勝ち抜いてようやく天下を治めることができます。そう考えると建国のほうが難しいでしょう」

それを聞いて重臣の魏徴が言った。「帝王が建国するとき、新しい王は必ず前代からの衰乱を収め、世を乱すならず者を倒し、平らげます。民は喜びその命に服し、新しい時代を迎えます。もともと帝王の地位は天が授け人民が与えるもの。ですから建国が難しいとは言えません。しかし、一度、天下を得てしまうと慢心します。民は静かに暮らしたいと考えていても、賦役に絶えずかり出され、疲弊しているのに、王の贅沢のための事業は止むことがない。国の衰退はいつもこのようなことが原因で起こるものです。そう考えると国を維持するほうが難しいでしょう」

2人の意見を聞き太宗は応えて言った。「玄齢は昔、建国のときに私に従い戦い、艱難辛苦をなめ、九死に一生を得て今がある。だから建国が困難だと見る。魏徴は私とともにこの天下を維持させてきた。驕り昂ぶったり自儘(わがまま)が顕れたら、必ず国が滅びる窮地に陥ることと考える。だから国を維持するのが難しいと見るのだ。今、建国の困難は過ぎ去った。これから私はこの国を維持する困難を汝らとともに乗り越えてゆきたいと思う」

(大道 修)