神韻へのいざない

李白 「詩仙」と呼ばれた浪漫詩人

詩仙」と呼ばれる李白(701–762)は、唐詩の典型を築いた、中国史上でも最も傑出した浪漫詩人とされています 。中国全域を旅し、道家、文学者、高官など、李白を賛美する人物と出会います。

勢力的な作詩活動と道教を修めたことに加え、彼は飲酒して創作力を得ていたことでも知られています。当時の詩人、杜甫は『飲中八仙歌』の中で李白のことを次のように歌っています。
(和訳参照//ja.wikipedia.org/wiki/李白)

李白一斗 詩百篇

長安市上 酒家に眠る

天子呼び来たれども 船に上らず

自ら称す 臣は是 酒中の仙と

しかし、彼の酒癖が悪い方向に転じたこともあります。唐の玄宗の時代、李白は宮廷の学士に召されました。ある日、酒の勢いで、玄宗が目にかけていた宦官高力士を侮辱してしまいます。そのすぐ後、高力士は玄宗の前で李白を非難する機会をみつけ、李白は宮廷の職を罷免されます。

数年後、李白の友人が昇格し、李白が再び玄宗に仕えられるよう取りはからいました。しかし、李白の知り合いが玄宗に反逆したため、李白を含むこの反逆者のもとにいた者すべてが、 都を追われることになります。

まもなく、玄宗のもとで働く李白の別の知り合いが、李白を救い出しました。そこで李白は漢詩の中でも最もよく知られる一節を詠みました。 (和訳参照 //ja.wikiquote.org/wiki/李白)

朝に白帝を辞す 彩雲の間 

千里の江陵 一日にして還る
両岸の猿声

啼いて住(や)まざるに

軽舟已に過ぐ 万重の山

『舊唐書』によると李白は「過度の飲酒のため、宣の町で息を引き取りました」二十巻の文集と900余りの詩が遺され、後世に受け継がれました。李白の詩は今日でも漢詩の中で親しまれ、「酒仙」「超越した詩人」「天から追われた仙人」「逸脱した詩人」など様々な名前で呼ばれ、親しまれています。

神韻芸術団ウェブサイトから転載

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